席は自分で引く

八月の食卓には、澄佳の席だけ最初から決まっていた。

台所にいちばん近い、冷蔵庫の扉が開くたび背中を引かなければならない椅子。その背には、洗ったばかりの花柄のエプロンが掛けてある。

「お姉ちゃん、お味噌汁よそって」

母は鍋敷きを置きながら言った。父は新聞を畳みもせず、焼き魚の骨を外している。帰省は一年ぶりだったのに、玄関で「おかえり」を聞いてから十分もしないうちに、澄佳は二十七歳から昔の係へ戻されていた。

「先に座っていい?」

「みんなの分をよそってからでしょう」

母の返事は、天気の話ほど迷いがなかった。

澄佳は杓文字ではなく、椅子の背をつかんだ。エプロンを畳んで流しの端へ置き、椅子を窓際まで引きずる。脚が畳の縁に当たり、思ったより大きな音がした。

「そこ、お父さんがテレビ見えないじゃない」

「今日はここで食べる」

「変な子ねえ。お姉ちゃんは昔から――」

「澄佳」

母の手が止まった。

「今日は、お姉ちゃんじゃなくて澄佳って呼んで。配る人じゃなくて、食べに来た人だから」

父が新聞の向こうで小さく咳をした。「家族なのに、堅いことを」と笑いに変えようとしたが、澄佳は笑わなかった。

自分の椀にだけ味噌汁をよそい、窓際の席へ運ぶ。湯気の向こうに、庭の物干し竿が見えた。子どものころは、そこから見える景色を知らなかった。

母はしばらく立ったままだった。それから澄佳の前へ焼き魚を置き、名前を呼ばないまま言った。

「大根おろし、いる?」

「いる。自分で取る」

澄佳は小鉢へ手を伸ばした。父も母も何も言わない。謝罪はなく、食卓の空気も急にはやわらがなかった。それでも、冷蔵庫が開いても、もう背中を引く必要はない。

父は醤油差しをいつもの席へ置きかけ、途中で窓際へ滑らせた。母は空いた椅子からエプロンを取り上げると、ためらってから『澄佳、冷奴も食べる?』と呼んだ。ぎこちない名前だったが、澄佳は『食べる』とだけ返し、自分の箸で皿を引き寄せた。

澄佳は両足を畳につけ、引き直した椅子に深く座った。