帰還灯の消えない宿
結界が割れた瞬間、ユウトはまた一人になるのだと思った。
彼が張った防護膜は、峡谷を渡る荷馬車隊を一撃だけ守るはずだった。だが術式の最後の一文字を取り違え、黒角狼の群れが光の壁を突き破った。幸い、負傷者は軽傷で済んだ。それでも護衛依頼は失敗。宿へ戻るまで、誰もユウトを責めなかったことが、かえって怖かった。
以前の仲間もそうだった。夕食までは優しく、朝には荷物ごと消えていた。残されたのは「足手まとい」という紙切れだけ。だから今回も、静けさは別れの準備にしか聞こえない。廊下を渡る足音がするたび、誰かが自分の荷物を運び出している気がした。
「先に休む」
そう告げて部屋へ逃げ込み、夜明け前に荷造りをした。謝罪文と、残っていた報酬の全額を机に置く。結界杖も壁へ立てかけた。もう自分には使う資格がないと思ったからだ。階下が静かなうちに裏口から出ようとしたとき、食堂に灯りが見えた。焼いたパンの匂いと、刃を砥ぐ乾いた音がしている。
剣士セレナの長剣が、いつものユウトの椅子に立てかけられていた。彼女は窓際で刃を研ぎ、顔も上げずに言う。
「それ、今日から預ける。持ち主が戻るまで勝手に売るな」
治癒術師ミュリエルは四人分の朝食を並べていた。ユウトの席だけ、湯気の立つスープ皿の上に自分の外套を掛けている。
「冷めるから座って。反省は食べたあと」
斥候のアニカは玄関の外で御者と揉めていた。
「出発は一刻遅らせて。うちの術師がまだ朝ごはん中だから」
「でも依頼は失敗した。次は、もっとまともな術師を雇えば――」
三人が同時にこちらを見た。
ユウトは肩をすくめ、来るはずの別れを待った。
セレナは研いだ剣を鞘へ戻した。ミュリエルは外套を椅子の背へ移した。アニカは御者へ追加料金を放り、馬車の扉を開けたままにした。
「次は術式を二人で確認する」
「次は私が魔力切れを先に見抜く」
「次も帰りは四人乗り」
誰も失敗をなかったことにはしなかった。セレナは報告書を出すと言い、ミュリエルは負傷者へ謝りに行く時間を決め、アニカは次の依頼では退路を二つ取ると地図に線を引いた。その全部に、当然のようにユウトの名前が入っていた。
誰もユウトだけを置いてはいかなかった。
宿の主人が消そうとした帰還灯を、セレナが無言で止める。そこには旅人が戻るまで灯す、小さな橙色の火が四つ並んでいた。