影を追い越す無音靴

月が屋根の高さまで昇ると、路地裏の靴店〈宵縫い〉は戸口に銀の札を出す。

開店初夜だった。棚には売れ残りの紐が三束、磨いた靴型が二つ。昼の靴職人組合から追い出されたネリオにとって、夜だけが自分の腕を試せる時間だった。灯りをともした直後、扉が乱暴に開いた。飛び込んできたのは夜便配達人のサイラスだった。泥まみれの長靴が、一歩ごとに鐘のような音を立てる。

「明日も鳴ったら、俺は首だ」

山道で踏んだ呪鉱石が靴底に食い込み、修道院の薬を運ぶたび魔獣を呼び寄せるのだという。工房を三軒回ったが、底を剥がせば靴ごと砕けると断られたらしい。

ネリオは事情を聞き終えると、棚から灰色の薄い靴底を一組だけ下ろした。

「売るのは〈影革の底〉。音を消すんじゃない。持ち主の影より先に、足音だけを歩かせます」

サイラスは眉をひそめたが、他に頼る先はない。ネリオが影革を縫いつけ、床へ降りるよう促す。

ごん、と音がした。

ただし鳴ったのは、サイラスが足を下ろす寸前、半歩先の何もない場所だった。次の一歩も、その次も、音だけが先へ走っていく。店の奥に置いた魔獣避けの鈴は、サイラスではなく壁際の影へ向いて震えた。試しに裏口から路地へ出ると、野良の角鼠が先回りした足音を追って空樽へ突っ込み、本人の足元には見向きもしない。

「これなら追われても、奴らは音のほうへ行く。荷を捨てずに済む」

サイラスは狭い店を何度も往復した。やがて、ずっと噛みしめていた奥歯をほどく。

「値段は」

「銀貨三枚」

「安すぎる」

彼は銀貨を六枚、作業台へ並べた。三枚を返そうとすると、節だらけの手で押し戻される。ネリオが昼の工房で一度も受け取れなかった、腕への代金だった。

「三枚は次の夜便の前金だ。同じ底を、もう一組頼む。今度は予備じゃない。後輩に渡す」

夜明け前、サイラスは音だけを遠い路地へ走らせながら帰っていった。ネリオが初めての売上を小箱へしまい、銀の札を裏返そうとした、そのとき。

今度はためらいがちな調子で、戸口のベルが鳴った。