待合室が白むまで
午前三時十二分、救急外来の電子カルテが、患者の名前だけを残して白くなった。
夜間担当の院内SE、久世川叶絵は、医師たちの背後で「再起動します」とは言わなかった。画面が固まると、誰もが再起動を望む。だが救急の再起動は、診察中の記録まで巻き込む。
「薬の指示は通っていますか」
看護師が確認すると、二十分前から新しい処方だけが薬剤部へ届いていなかった。検査結果は見える。過去の記録も開く。叶絵は端末を一台ずつ触らず、処方を運ぶキューの件数を見た。数字は減らず、同じ百二十七件を示している。
直前の更新は、薬品名の表示順を直す小さな修正だった。小さい修正ほど、夜中に入れられる。叶絵は更新前へのロールバックを申請しながら、当直医に紙の非常用処方箋を配った。ただし全部を紙に戻すのではなく、命に関わる薬と点滴だけに限定した。後で二重処方になる危険があるからだ。紙には赤いクリップを付け、復旧後に必ず電子記録と突き合わせる箱へ入れさせた。口頭指示は速いが、誰が何を聞いたか残らない。忙しい夜ほど、速さの代わりに痕跡を残す必要があった。
「送信ボタンは押し直さないでください。復旧した瞬間、同じ指示がまとめて流れます」
焦って連打していた研修医の手が止まった。叶絵は送信時刻をその場で読み上げさせ、紙の処方にも同じ時刻を書かせた。後から順番を復元できなければ、二重か不足かを判断できない。
ロールバック後、キューの数字が一つ減った。次に五つ、二十。薬剤部のプリンターが唸り始めた。叶絵は喜ぶ前に、紙で出した処方の患者番号を一覧にし、電子分を保留へ回した。復旧とは、画面が戻ることではない。混乱を一件も患者へ渡さないことだ。
四時四十六分、最後の重複確認が終わった。救急医が紙コップの水を差し出し、「助かった」とだけ言った。
窓の外が薄青くなったころ、内線が鳴る。
「検査室です。今度は採血ラベルが二枚ずつ出ます」
叶絵は冷めた水を一口飲み、椅子を引き直した。待合室には、もう朝一番の患者が座り始めていた。