後ろから二番目の保護者席

 今年も、息子の授業参観へ来た。

 校門の受付では誰にも呼び止められなかった。名札を忘れたのに、廊下ですれ違う先生も保護者も、私を見ようとしない。

 六年二組の後ろには、保護者用の椅子が並んでいた。

 後ろから二番目だけ、背もたれに黒いリボンが結ばれている。私の席だ。毎年そう決まっている。

 息子は教壇に立っていた。

 昔よりずいぶん背が伸び、紺色の背広まで着ている。緊張すると左袖をつまむ癖だけは、小学生のころと変わらない。

「今日は、大切な人へ手紙を書きます」

 子どもたちは原稿用紙へ向かった。

 私の前に座る男の子だけ、何度もこちらを振り返る。丸い頬も、寂しそうに眉を下げるところも、幼いころの息子に似ていた。

「お母さん?」

 男の子が小声で呼んだ。

 私はうなずいた。

 その子の母親は来ていないらしい。ほかの保護者席は埋まっているのに、隣の椅子だけ空いていた。

「迎えに来たのよ」

 そう言うと、男の子は安心したように笑った。

 発表が始まった。

 父親へ、祖父母へ、亡くなった犬へ。子どもたちは順番に手紙を読む。

 男の子の番になると、息子が慌てて制した。

「君は読まなくていい。前を向いて、後ろの声を聞かないで」

 男の子は不思議そうに私を見た。

 息子は教卓を離れ、黒いリボンの椅子へ近づいた。私のすぐ前で立ち止まる。

「母さん、今年も来たんだね」

 初めて目が合った。

「あなた、私が見えるの?」

「三十二年前から、ずっと」

 息子の声は震えていた。

「僕の最初の授業参観へ来る途中、母さんは事故で亡くなった。なのに毎年この日になると、ここへ座る」

 私は思い出せなかった。

 覚えているのは、息子を迎えに来たことだけだ。

「帰りましょう」

 私は男の子へ手を差し出した。

 息子が叫んだ。

「その子は母さんの子じゃない!」

 教室中の子どもが耳を塞ぎ、前を向いた。

 黒いリボンは、亡くなった保護者のためではなかった。

「母さんが来た年は、必ず一人、帰らなくなるんだ」

 終業の鐘が鳴った。

 男の子は私の手を握っていた。

 その手は、息子がいくら引いても離れなかった。

「大丈夫」

 私は泣き叫ぶ息子へ微笑んだ。

「今年こそ、ちゃんと一緒に帰るから」