息をしてはいけない茸の森
〈紅蓮の斧〉がナディルを追放した翌日、最初の戦闘は始まる前に終わった。
迷宮一層の茸林へ踏み込んだ途端、剣士ロッツェンが咳き込んだ。後ろの神官も弓手も、喉を押さえて膝をつく。敵は小鬼が二匹だけ。だが胞子で霞んだ空気を吸うたび、指から力が抜けた。
「解毒を!」
「毒ではありません。眠り茸の胞子です!」
神官の浄化は体内へ入ったものにしか効かない。治したそばから、次の一息でまた痺れる。
昨日まで誰も気に留めなかった。ナディルが歩きながら、仲間の口と鼻の前へ透明な薄膜を張っていたことを。剣も炎も止められない、息だけを選り分ける小さな結界だった。ロッツェンはそれを「顔の前で指を動かすだけ」と笑い、分け前を惜しんだ。
一行は小鬼に武器を奪われ、入口まで這って戻った。
同じ頃、ナディルは薬草採集団の先頭にいた。薬師エナクが、胞子の濃い銀傘茸を一本摘み上げる。
「全員が素顔で採取できるなんて。しかも花粉は通して、毒胞子だけを弾いている」
「薬草を傷めないよう、膜の目を変えています」
「戦えないどころか、あなたがいれば採取量が三倍になる。今日から正規団員として迎えたい」
昼には籠が満杯になり、採取人たちはナディルの名を何度も呼んだ。荷物を押しつける声ではなく、次の区画を任せる声だった。
そこへ伝信石が赤く明滅した。映ったロッツェンは、頬に茸の模様を浮かべている。
『一度だけ戻れ。お前の膜が要る。分け前も前と同じにしてやる』
ナディルは新しい団員証を胸へ留め、石に触れた。
以前のナディルなら、命令口調の声を聞いただけで荷袋へ手を伸ばしていた。自分が抜ければ皆が困ると知りながら、それでも役に立てる場所へ戻るしかないと思っていたからだ。だが今、採取人の一人が予備の面布を差し出し、別の一人は結界の維持時間を先に尋ねた。誰も彼の術を無限だと思っていない。休憩と報酬まで含めて仕事として扱っている。ナディルは、赤い石の向こうで咳き込む顔より、銀傘茸を傷つけず運ぶ仲間の手を見た。
「昨日で契約は終了しています」