悲しみを飼う小瓶
妹の熱が三日下がらなかった夜、アニエカは薬師の戸棚から青い小瓶を盗んだ。
瓶の底では、雫ほどの精霊が膝を抱えている。蓋に巻かれた紙には、たった一行だけあった。
――この精霊は悲しみを食べ、その悲しみと同じ重さの病を消す。
「誰の悲しみでもいいの?」
精霊は頷いた。声は泡のようだった。
「ただし、食べられた悲しみは戻らない。思い出しても、もう胸は痛まないよ」
寝台のニムは浅く息をし、指先まで熱かった。医師は夜明けまでだと言った。両親を早くに亡くした姉妹には、高価な月薬を買う金もない。
アニエカには差し出せる悲しみが一つだけあった。
去年、海に沈んだ婚約者のことだ。
港の人々は、もう新しい縁談を探せと言った。けれどアニエカは、彼の帰らない椅子を片づけなかった。夕食の皿を一枚少なくするたびに泣き、その痛みを、誰にも奪われない婚約の証しのように抱えてきた。
彼が最後に結んでくれた髪紐。雨宿りの軒下で交わした口づけ。帰ったら小さな家を借りようと笑った声。どれも忘れてはいない。けれど、胸を裂く痛みがあるからこそ、あの人を本当に愛したのだと信じられた。
「全部じゃなくて、半分ではだめ?」
「病も半分しか消えない」
妹が苦しげに姉の名を呼んだ。
アニエカは瓶を両手で包んだ。悲しみが細い糸になり、胸の奥から引き出される。海辺で待ち続けた夜、空の棺に花を置いた朝、誰にも見せず噛んだ唇。その一つ一つを、精霊は甘い菓子のように飲み込んだ。
瓶の青が濃くなるにつれ、ニムの呼吸は穏やかになった。
最後に残ったのは、彼が出航前に振り返った瞬間だった。笑っていた。アニエカだけに向けた、少し困ったような笑顔。
「これを食べたら、私はあの人を愛していたと分からなくなる?」
「分かるよ。事実としては」
「事実だけになるのね」
窓の外が白み始める。妹の額から熱が引いていく。
アニエカは髪紐をほどき、瓶の口に垂らした。
「おいしかったと言わないで」
精霊が最後の悲しみに噛みついた。
胸の痛みが消えた瞬間、髪紐はただの古い布になった。