押すのは、あなたの指で

スーパーのセルフレジで、杣野井紗英は前の客を急かすように時計を見ていた。

白髪の男性が、豆腐を読み取り台へ置いては戻し、画面の「取消」を押しては最初からやり直している。後ろの列から、ため息が聞こえた。

紗英も急いでいた。帰宅したら弟の夕食を作り、そのあと塾へ行かなければならない。

男性が店員を呼ぼうとしたが、有人レジは長蛇の列だった。紗英は一度目をそらし、それから前へ出た。

「手伝いましょうか」

「機械が苦手でね。妻ならすぐできるんだが」

籠には豆腐、ネギ、卵、味噌。男性の妻は手首を骨折し、翌日退院するという。

「帰った朝くらい、私が味噌汁を作ろうと思って。買い物も一人でできると、安心させたいんです」

紗英は商品を取り、代わりに全部操作しかけた。だが男性は、少し寂しそうに手を引っ込めた。

その顔を見て、紗英は品物を戻した。

「押すのは、そちらの指で。私は次の場所だけ言います」

豆腐のバーコードを探す。

画面の大きなボタンを押す。

卵を袋へ入れる。

一つ終わるたび、男性は小さくうなずいた。

途中、ネギを二度読み取り、二人で慌てた。係員を呼んで取り消してもらうと、男性は「料理の前にネギを二本買うところだった」と笑った。

支払いが終わるまで七分かかった。

袋詰めでは、卵をいちばん下へ入れようとする男性を紗英が止めた。

「妻にも、いつも怒られます」

「では明日は、怒られる前に直せますね」

男性は豆腐の上へ卵を置き直し、その順番まで覚えるように、ゆっくり袋の中を見た。

後ろの人たちは別のレジへ移っていた。けれど紗英は、もう時計を見なかった。

「できましたね」

「教えてもらったから」

「違います。押したのは全部、そちらです」

翌週、紗英は同じ店で男性を見かけた。

今度は一人で会計を済ませ、隣の台で困っていた老婦人へ声をかけていた。

「押すのは、あなたの指で。私は次の場所だけ言います」

紗英は笑い、少し離れたレジへ向かった。

その夜、父が学校の申請サイトを前に困っていた。紗英はマウスを奪いかけ、手を止めた。

「お父さんが押して。私は隣で言うから」

親切は、代わりにやってしまうことではない。

次から一人でもできるよう、相手の指が動くのを待つこともある。