捕球音のない六畳

霧生律真が会社の寮を追い出された夜、迎えに来たのは、四年間口をきいていない戸隠宗弥だった。

軽自動車の後部座席に段ボールを詰めながら、戸隠は「荷物、それだけか」と聞いた。律真は頷いた。高校ではバッテリーを組み、最後の地方大会では、戸隠が首を振った球を打たれて負けた。試合後、戸隠は「お前まで俺を信用しなかった」と言った。それきりだった。

連れて行かれたのは戸隠の古いアパートだった。六畳の空き部屋に、通販の折り畳みベッドが届いている。

「一晩だけなら床でいい」

「腰を壊した捕手が言うな。脚、そっち持て」

説明書は英語で、蝶番は一つだけ固かった。二人は向かい合ってフレームを押さえた。戸隠が力を入れる瞬間、律真は何も言われなくても手をずらした。高校時代、低めの球を受けるときと同じだった。金具が乾いた音を立ててはまった。戸隠が試しに体重をかけると、ベッドは一度だけ軋んだ。律真は反射的に脚を押さえた。戸隠が投げ損ねた球を、身体ごと止めた頃と同じ位置だった。

「今のはサイン通りだな」

「お前が首を振らなかったからだ」

笑うところではなかった。戸隠は黙ってマットレスを広げた。律真は床に落ちた六角レンチを拾い、工具箱へ戻した。箱の底には、色の剥げた捕手用ミットがあった。高校最後の日、律真が倉庫に置いていったものだった。

「捨ててなかったのか」

「捨て方が分からなかった」

部屋にはカーテンも机もない。寮を出た理由も、次の仕事も決まっていない。四年前の一球について、戸隠が謝る気配もなかったし、律真にもなかった。

組み上がったベッドへ腰を下ろすと、戸隠はミットを放った。受け止めた掌に、硬いものが当たる。合鍵だった。

「朝は六時に出る。閉めるならそれ使え」

「いつ返せばいい」

「ベッドの脚が緩んだら、一緒に締めろ」

戸隠はそれだけ言って部屋を出た。律真は玄関へ戻り、脱ぎ散らした靴を揃えた。逃げやすいよう外へ向けていた爪先を、しばらく見てから、廊下の奥へ向け直した。