既読のつかないオムライス
紬希がフライパンを傾けると、薄い卵が皿の上で少しだけ破れた。ケチャップで線を引くより先に、スマートフォンが震えた。
〈夕飯、ちゃんと食べるの?〉
母からだった。午後七時十二分。昨日も、一昨日も同じ時刻だった。
紬希は反射的にカメラを開いた。写真を送れば、〈野菜がない〉〈そんな時間に炭水化物?〉〈盛りつけが雑〉のどれかが返ってくる。それでも送ってきたのは、既読をつけたまま黙ると、電話が鳴るからだ。
画面の中のオムライスは、実物より冷たく見えた。紬希は撮った画像を削除した。
〈今日はオムライス〉
文字だけ送ると、すぐに〈写真は?〉と返った。
スプーンを持ったまま、紬希は長い文章を書いては消した。育ててもらったこと。心配されるありがたさ。仕事が忙しいこと。どれも説明にすると、母の採点を受ける答案のようだった。
〈食事の写真を送るのは、今日で終わりにするね〉
〈元気かどうかは、日曜の夜に話したい〉
送信すると、既読がついた。入力中を示す三つの点が現れ、消え、また現れた。
〈心配してるだけなのに〉
紬希は破れた卵の端をスプーンで切った。
〈分かってる。でも、心配されるために食べたくない〉
今度は、しばらく既読がつかなかった。オムライスを半分食べたところで、通知が一つ来た。
〈日曜、八時なら家にいる〉
謝罪でも納得でもなかった。それでよかった。
〈八時に電話する〉
紬希は写真フォルダを開いた。母へ送った夕飯が、日付順に百枚近く並んでいる。焼き色を隠す角度、量が少なく見えない皿、野菜を手前に置く配置。いつからか、食べたいものより叱られない画面を作っていた。数枚を選んで消しかけたが、やめた。過去を片づけるより、今夜の一枚を追加しないことの方が大切だった。母に見せなくても、食べた事実は減らない。形の崩れた卵も、今日の自分だけが知っていればよかった。
紬希は送って、チャットを閉じた。ケチャップは少し酸っぱく、卵はもうぬるかった。それでも、写真になる前の夕飯を、自分の速さで最後まで食べた。