日曜日を週に三つ

 母は毎朝、電話の最初に尋ねた。

「今日は日曜日?」

 月曜でも木曜でも、答えは同じだった。

「違うよ」

 すると母は「そう」と言い、少しだけ声を落とした。

 認知症が進み、日付が分からなくなったのだと、三人の子どもは考えた。長男は大きな日めくりを買い、長女は音声で曜日を知らせる時計を置き、次男は冷蔵庫へ予定表を貼った。

 それでも母は尋ねた。

「今日は日曜日?」

「時計を見て」

「水曜日って書いてあるでしょう」

「さっきも言ったよ」

 母は謝るようになった。

「ごめんね。頭が悪くなって」

 ある水曜、孫が学校帰りに寄った。母は同じ質問をした。

「今日は日曜日?」

「違うけど、どうして?」

「日曜日は、みんなが来るから」

 孫は冷蔵庫の予定表を見た。かつて家族は毎週日曜、母の家で夕食を食べていた。子どもたちが独立し、仕事や育児で集まらなくなってから、その習慣は消えていた。

 母が忘れていたのは曜日ではなかった。

 待つ相手が来る日の名前だけを、まだ覚えていたのだ。

 その夜、孫から家族全員へ連絡が来た。

〈日曜日を増やせない?〉

 話し合いの結果、長男は火曜、長女は木曜、次男の家族は日曜に夕食へ行くことになった。無理な週は電話をし、代わりの日を決めた。

 最初の火曜、母は長男を見るなり言った。

「今日は日曜日?」

「火曜日。でも、夕飯を食べに来た」

 母はうれしそうに鍋を出した。中身は空だったので、二人で総菜を並べた。

 木曜には長女が来た。母はまた尋ねた。

「今日は日曜日?」

「木曜日。だけど今日は、うちの日曜日」

 母は意味が分からない顔をしたが、笑った。

 何度集まっても、母は翌週には忘れた。食べた献立も、孫が持ってきた花も覚えていなかった。

 それでも、帰るときには毎回、玄関までついてきた。

「次の日曜日も来る?」

「うん。次の日曜日に」

 家族のカレンダーでは、一週間に日曜日が三つできた。

 正しい曜日を教えるためではない。

 母が待っている日を、正しい答えに変えるためだった。