明日の午前なら

小田切未琴は、頼まれごとの返事を考える前に、予定表を縮める癖があった。

イベント制作会社で働いて三年。急な修正、欠けた資料、誰かが忘れた確認事項。自分の夕食や睡眠を小さく折り畳めば、たいていの仕事は入った。「助かった」と言われるたび、未琴は会社の中に置いてもらえた気がした。

金曜の十八時二十三分、退勤の準備をしていると先輩からチャットが届いた。

《来週の提案、十枚だけでいいから今日中にたたき作れない?》

未琴は《できます》と打った。十枚なら二時間。参考資料を探せば三時間。帰宅してから始めても、日付が変わる頃には終わる。冷蔵庫の豆腐は明日までだが、夕食を抜けばもっと早い。

送信ボタンへ触れる直前、デスクの下で右足が小さく震えていることに気づいた。昼から続く頭痛も、首の熱も、返事をするまでは存在しないことにしていた。

未琴は文章を消した。

《今日は対応できません。明日の午前なら一時間取れます》

いつもの癖で《申し訳ありません》《私の段取りが悪く》と足しかけ、どちらも消した。送ると、胸の奥が軽くなるどころか、冷たいものが沈んだ。役に立たない人だと思われるかもしれない。

数分後、《了解。別の人にも確認します》と返った。

向かいの席では、先輩がもう別の誰かへ声をかけていた。未琴が背負わなかった仕事は、床へ落ちるのではなく、相談し直されていく。その当たり前の光景を見ても、罪悪感はすぐには消えなかった。

それだけだった。感謝も失望もない短い文字を、未琴は二度読んだ。取り消して「やっぱりできます」と送ることもできた。

代わりに仕事用チャットの通知を翌朝九時まで止めた。パソコンを鞄へ入れず、会社の引き出しに残す。駅前で豆腐に合う生姜を買い、帰宅すると湯を沸かした。

鍋が鳴るあいだも、断った言葉は胸に引っかかっていた。未琴はそれを解こうとせず、豆腐を一口ずつ食べた。

明日の午前なら、と決めた一時間だけが、今夜を押しのけずに予定表へ収まっていた。