明日を言うたび
砥上由良の祖母、万里江は、半年前から明日のことを言い当てるようになった。
「朝、黄色い傘の人が門の前で転ぶよ」
「夕方、冷蔵庫の牛乳が勝手に落ちるよ」
どれも些細だが、必ず当たった。
家族は最初こそ気味悪がったものの、やがて便利に使い始めた。父は出張先の天気を聞き、母は値上がりする食材を尋ねた。由良も試験に出る問題を教えてもらった。
ただ、祖母が明日を口にするたび、家の中から何かが欠けた。
父は、由良の入学式で歌った校歌を忘れた。
母は、祖母から教わった煮物の味を思い出せなくなった。
由良は、幼いころ祖母と行った海の景色だけが、白い霧に包まれていた。
「おばあちゃん、予知すると疲れる?」
尋ねると、祖母は笑った。
「明日はただでは来ないからね」
ある晩、祖母は家族を居間へ集めた。
「明日の朝、みんな無事にここにいるよ。でも私は一人になる」
父は強盗か火事を疑い、窓と扉を施錠した。母は祖母の手を握り、由良は眠らないようコーヒーを飲んだ。
夜中、何も起きなかった。
午前六時、朝日がカーテンの隙間から差し込んだ。
「ほら、全員いる」
父が笑った。
祖母も笑い返し、母の名を呼んだ。
母は眉をひそめた。
「どちらさまですか」
父も、由良も、祖母を知らない顔で見ていた。
「勝手に入ってきたのか」
父が警察へ電話しようとした。
祖母は慌てず、棚の引き出しから一冊のノートを出した。表紙には〈明日を話す前に読むこと〉とある。
最初の頁は祖母の字だった。
〈一つの明日を知るたび、同じ重さの昨日を失う〉
〈家族の未来を多く話せば、家族が私と過ごした過去から消えていく〉
〈最後の予知を口にした朝、私は全員の記憶からいなくなる〉
由良はノートを読んでも、目の前の老女を思い出せなかった。
「あなたが書いたんですか」
祖母は首を振った。
「いいえ。昨日までの私が書いたの」
家族は老女を玄関の外へ出し、鍵を掛けた。
その日の夕方、由良は机の奥から古い写真を見つけた。
海辺で幼い自分が、誰かの手だけを握っている。手の先は白く抜け落ちていた。
写真の裏には、自分の字で一行だけあった。
〈この人を忘れたら、明日のことを絶対に聞かないで〉