星付き食堂の零円請求
王都で三つ星を得た食堂《梢亭》で、榊原陸堂はスープ皿を床へ落とした。
「髪が入っていた。全員分を無料にしろ。それから、この給仕を今すぐクビにしろ」
指された梢は、割れた皿の横に膝をつかず、卓上端末を差し出した。
「返金申請には、混入物を発見した時刻と状況をご記入ください」
「俺を疑うのか?」
「本部の規定です」
陸堂は鼻で笑い、〈給仕が厨房から運んだ直後、黒い長髪を発見〉と書き、署名した。さらに端末を自分の配信画面へ向ける。
「見ろよ。客に書類仕事までさせる最低の店だ」
同時視聴者は四万人。梢は端末を受け取ると、申請欄の下にある小さな三角を押した。
映像が巻き戻る。
星付き店では異物混入対策のため、配膳した瞬間だけ皿の縁に青い記録紋が灯る。陸堂の配信にも、その青い輪が鮮明に映っていた。スープに髪はない。
次の瞬間、陸堂自身が上着の襟から黒い糸を抜き、カメラの外へ手を動かす。床へ落とした皿には、その糸が浮いていた。
コメント欄から店を罵る言葉が消え、代わりに〈自分で入れた〉〈店員さんに謝れ〉が埋め尽くした。同行者まで椅子を引き、陸堂から離れる。
「これは髪じゃない! 演出だ。店の宣伝をしてやったんだぞ!」
「では、返金申請の『黒い長髪』は虚偽ですね」
梢が静かに問うと、陸堂は卓上の水差しをつかんだ。
「黙れ。俺はこの店を運営する白冠グループの北区統括だ! お前一人くらい――」
彼が投げる前に、配信画面へ別の人物が参加した。白冠グループ社長だった。
『榊原統括。あなたの配信は本部でも記録しています。食事代の恐喝、証拠の捏造、従業員への威迫、備品損壊。しかも社名を用いた』
陸堂の顔から血の気が引く。
「社長、これは抜き打ち調査で……」
『署名済みの虚偽申請書も受領しました』
梢は新しい請求書を卓上へ置いた。料理代、皿代、清掃料。零円ではない。
配信の向こうで社長が、一枚の文書を読み上げた。
『榊原陸堂に、本日付の懲戒解雇を通知します』