最上階の予約名
「澄花さん、そのワンピースで来たの?」
葛城富美江は、ホテルの鏡面扉に映る嫁を上から下まで眺めた。
「直哉の昇進祝いよ。せめて家の格に合う服を着てちょうだい。あなたのご実家じゃ、こういうホテルには縁がないでしょうけど」
澄花は淡い紺のワンピースの裾を整え、「母から贈られたものです」とだけ答えた。
宴会場では、富美江が親族の中央に座り、澄花には給仕を命じた。直哉が止めようとすると、「嫁が気を利かせるのは当然」と笑う。澄花は黙ってグラスを並べた。
富美江はこのホテルをことのほか気に入っていた。会員限定ラウンジへ入れること、季節ごとに支配人から挨拶状が届くことを、近所で何度も自慢している。今日も親族にカードを見せ、「ここでは名前を覚えられているの」と声を弾ませた。澄花は、その挨拶状の宛名がいつも自分との連名だったことを知っていたが、黙っていた。
やがて富美江は、空席を見て眉をひそめた。
「あなたのご両親、まだ? 遅刻まで庶民的なのね」
そのとき扉が開き、総支配人を先頭に十人近いスタッフが一斉に頭を下げた。白髪の夫妻が入ってくる。父は古びた革鞄、母は澄花と同じ紺色の布で仕立てたドレスを着ていた。
「久世会長ご夫妻、本日はお帰りなさいませ」
富美江の笑みが止まった。
久世ホテルズ。国内外に百二十の高級ホテルを持つ一族。その名は、富美江が毎月届く会員誌で何度も自慢していた。
「会長……?」
富美江は慌てて椅子を引き、「会長様なら、どうぞこちらへ」と自分の隣を示した。だがスタッフは、空席だと思われていた中央席を夫妻のために整えた。そこは久世家の紋章が入った専用席で、富美江が座っていた場所より一段高かった。
澄花の父は娘の前まで来ると、鞄から小さな箱を出した。
「母さんと選んだ服、よく似合っている。これは直哉君への祝いだ」
箱の中には、このホテル最上階のレジデンスキーが入っていた。
総支配人が富美江に向き直る。
「なお、本日の宴席は澄花お嬢様のご予約です。葛城様がお申し込みになった一般会員席は満席でしたので、お嬢様が所有者枠へ切り替えてくださいました」
富美江の手から、誇らしげに掲げていた会員カードが滑り落ちた。
澄花は初めて給仕用の盆を置き、自分の名が刻まれた最上席へ歩いた。