最前列の名札
市民会館の受付で、穂積田泰成は木場谷奏汰の名札を探し、いちばん端の机に置いた。
「お前はそこが落ち着くだろ。昔から背景だったし」
二十歳の集いの実行委員長になった穂積田は、昔と同じ調子で笑った。教室で奏汰の声が小さいと真似をし、集合写真では必ず後ろへ押した。その説明は、二行もあれば足りる。
奏汰は何も言わず、紺のスーツの襟を直した。細身の体に無駄なく合い、伏せがちだった目は、今はまっすぐ相手を見ている。会場へ入ると、何人かが振り返ったが、穂積田は気づかないふりをした。
「起業したって聞いたけど、学生の会社ごっこだろ?」
「まあ、去年までは学生だった」
奏汰が答えたところで、市長と教育長がロビーへ現れた。二人は穂積田を通り過ぎ、奏汰の前で足を止める。
「木場谷代表、本日はありがとうございます」
市長が差し出したのは、地域奨学基金の設立証書だった。奏汰が高校時代に作った学習支援アプリは海外企業に買収され、彼はその売却益の一部を、家庭の事情で進学を諦める若者のために寄付していた。金額は三億円。壇上の大型画面には、海外経済誌に載った端正な横顔とともに、彼の会社の名前が映し出された。
穂積田の手から、司会進行表がずり落ちた。
「聞いてない。今日の来賓は県議だけじゃ……」
教育長が首をかしげる。
「実行委員会には一か月前に連絡しました。木場谷さんには、若者代表として記念講演もお願いしています」
スタッフが慌てて、最前列中央の席へ新しい名札を置いた。そこには〈木場谷奏汰 基金代表〉とある。その隣は市長、反対側は教育長だった。
穂積田は端の机に残った名札を見た。自分で決めた実行委員席は、舞台袖の折り畳み椅子だった。
「奏汰、昔のことは冗談だったよな」
奏汰は穏やかに笑った。
「背景にも、誰が何をしていたかは全部見えていたよ」
開会のベルが鳴り、係員が最前列への通路を開ける。
奏汰の名札が中央に置かれた瞬間、十年前までの席順は、完全に効力を失った。