最後のクリックは誰のもの
解散ライブの開演前、星埜澄のイヤーモニターに、誰も鳴らしていないクリックが四つ入った。
カッ、カッ、カッ、コツ。
四つ目だけ、木の扉を内側から叩く音だった。
バンド〈ノイズ標本〉は今夜で終わる。半年前、ドラマーの衿谷がスタジオで首をつり、残った三人は「方向性の違い」を理由に解散を発表した。だが澄は知っていた。衿谷は死ぬ前夜、代表の黒瀬から契約更新を迫られていた。最後に送られてきたデータは、クリックだけの未完成曲だった。
タイトルは〈終端標本〉。
イントロで空のドラム椅子へ青い照明が落ちる。澄がギターを鳴らすたび、クリックの四拍目に扉を叩く音が混じった。客席には演出と思われた。黒瀬も舞台袖で腕を組み、泣ける追悼だと満足そうにうなずいている。
「ここで終わろう」
Aメロを歌うと、背面スクリーンに衿谷の制作画面が映った。波形は一本だけ。けれど小節が進むにつれ、クリックの下から別の音が浮いた。息を殺す声、机が倒れる音、黒瀬の低い罵声。
――更新しないなら、お前だけ終わらせる。
澄の指が震えた。衿谷はクリックを録ったのではない。防音室での会話を、四拍ごとに切り刻み、曲の中へ隠していたのだ。
黒瀬が音響卓へ走る。ベースの鞆谷が進路を塞ぎ、キーボードの樫尾がサビのコードを押し切った。音圧が上がるほど、罵声は鮮明になる。観客のスマートフォンが一斉に掲げられ、配信の録画数が跳ね上がった。
「ここで終わろう」
黒瀬が叫ぶ。演奏を止めろ。契約違反だ。お前たち全員を終わらせる、と。
最後の一音だけ、衿谷の生前のスネアが鳴った。打撃音に反応して、スクリーンの非公開フォルダが開く。そこには黒瀬が防音室の外鍵を掛けた映像と、救急通報を二時間遅らせた記録が保存されていた。
会場後方の扉が開き、警察官が入ってくる。
澄はギターの余韻が消えるまで黒瀬を見た。
「ここで終わろう」
それは四人のバンドへの別れではない。衿谷が最後のクリックで指定した、黒瀬の支配を終わらせる小節だった。