月下の植木鉢会議

 集合住宅「若葉荘」の中庭には、ひびの入った大きな植木鉢がある。人間たちが寝静まる午前零時、そこへ動物たちが集まった。

 鉢の縁に座る三毛猫の煉瓦が議長。老犬の帆布は一階の縁側から抜け出し、雀の柚種は仲間を代表して物干し竿に並ぶ。雨上がりの受け皿には月が浮かび、それが今夜のお茶だった。

「議題は三〇五号室」

 煉瓦が尾を巻く。

「新しく来た人間、帰宅しても灯りを一つしかつけません」

 柚種が報告した。

「夕飯は?」

「袋の麺。昨日も、その前も」

 帆布が低く唸った。

「挨拶をしても、頭だけ下げて通り過ぎる。足音が、ひとりぶんより静かだ」

 三〇五号室の会社員は、一か月前に越してきた。朝早く出て、夜遅く戻る。誰とも揉めない代わり、誰とも話さない。煉瓦は玄関前で何度か待ってみたが、男は「ごめん、何も持ってない」と困った顔をするだけだった。

「食べ物が欲しいわけではないのに」

 煉瓦は髭を震わせた。

「人間は、猫が空腹のときしか来ないと思っています」

「では、別の理由を作ろう」

 帆布が言った。

 翌朝、帆布は散歩の途中で三〇五号室の男の前に座り込んだ。飼い主の老婦人が困って「この子、あなたが気になるみたい」と話しかける。男は初めて足を止め、帆布の耳を撫でた。

 昼には柚種たちが男のベランダへ落とした洗濯ばさみを、隣室の若い母親が拾いに来た。

「すみません、うちのです」

「いえ。どうぞ」

 それだけの会話だったが、男の部屋に人の声が入った。

 夜、煉瓦は買い物袋を下げた男の後ろから玄関までついていった。ちょうど大家が通りかかり、「その猫、魚より味噌汁の匂いが好きなのよ」と笑った。

「味噌汁、作ったことないです」

「葱が余ってるから、明日持っていくわ」

 次の月下会議では、三〇五号室の窓が橙色に光っていた。

 味噌を溶く匂いと、少し焦げた油揚げの香りが中庭まで流れてくる。室内からは、大家に教わる男の声と、隣の子どもの笑い声がした。

「成果あり」

 柚種が胸を張る。

「まだ足音は静かだ」

 帆布は言った。

「でも、帰る足音になった」

 煉瓦が受け皿の月をひと舐めした。

 会議はそこで閉じた。動物たちはそれぞれの寝床へ戻り、中庭には湿った土と味噌汁の温かな香りだけが残った。翌朝、人間たちは鉢の周りの小さな足跡を見ても、夜の議事録だとは思わなかった。