月明かりのキーホルダー

玄関の靴箱に貼りつけていた青い缶から、合鍵だけが消えていた。

綾戸琴葉が最後に見たのは昨日の朝。部屋に入れた可能性があるのは、留守中に観葉植物へ水をやってくれた友人の星崎詩乃と、上階の漏水点検で訪ねてきた管理人の祖父江だけだった。

「警察、呼ぶ?」

電話の向こうで詩乃は大げさに息をのんだ。けれど琴葉は、盗難にしては妙だと思った。財布もパソコンもそのまま。缶の中の千円札にも手がついていない。

手掛かりは三つあった。玄関マットに落ちた細かな真鍮色の粉。青い缶の蓋だけが、指紋を拭ったようにつるつるしていること。そして昨夜、詩乃が置き忘れたトートバッグから、三日月形の反射シールが一枚のぞいていたこと。

一階には、古い鍵店がある。

琴葉が店へ下りると、店主は顔を見るなり奥を振り返った。詩乃が丸椅子に座り、ばつの悪そうな顔で合鍵を磨いていた。持ち手には三日月の反射板がつき、縁のささくれはきれいに削られている。

「この前、雨の中で締め出されたのに、私に電話しなかったでしょ」

「仕事中だと思って」

「だからって、二時間も階段に座る?」

あの日、琴葉は濡れたスカートのまま非常階段に座り、管理会社が来るまで笑ってごまかした。詩乃には翌朝になってから、「ちょっと災難だった」とだけ送った。心配をかけないことと、一人で耐えることを、いつの間にか同じだと思っていた。

詩乃は、合鍵を勝手に持ち出したことを謝った。暗い廊下でも見つけやすくし、ついでに指を切った金属のばりを直したかったのだという。祖父江には、缶を空にしておく間だけ千円札を預かってほしいと頼んでいたらしい。蓋を拭いたのも祖父江で、「古い缶を触った手で壁を汚すな」と詩乃に小言を言ったそうだ。疑いの痕跡に見えたものまで、二人が琴葉を気にかけた跡だった。

「合鍵があれば平気、じゃなくてさ」

詩乃は三日月を琴葉の掌に載せた。

「困ったら、私を呼んでよ」

部屋へ戻り、二人で沸かしたココアを飲んだ。三日月は靴箱の上で、廊下の灯りを小さく返している。

琴葉は甘い湯気に口をつけてから言った。

「次は、一番に呼ぶ」