朱のあとに残る白

逢坂依織の退職届は、週刊誌の校了紙にはさまっていた。

編集プロダクションで働いて三年。最後に任されたのは、働く女性向け特集の見開きだった。中央には、広告主である人材会社の調査結果が大きく載っている。

〈育休取得者の復職率、九十二パーセント〉

依織は棒グラフの下にある六ポイントの注記へ定規を当てた。母数は百二十五人。しかし元データの表では、育休中に退職した三十四人が集計から外されている。復職した七十三人を、復職意思を回答した七十九人だけで割った数字だった。

除外された回答の自由記述には、〈保育園が決まらなかった〉〈時短勤務を断られた〉という文が並んでいた。誌面は、戻れなかった人を数字から消したうえで、「女性が活躍できる会社」と結論づけている。

「広告企画なんだから、先方の表現を尊重して」

営業担当は時計を見た。刷版まで二十分。隣で初校を担当した新人の佐和が、唇をかんでいる。注記を転記したのは彼女だ。机の端には、責任を認める謝罪メールが、まだ送られないまま開かれていた。

依織は赤鉛筆を置き、電卓を叩いた。

「転記ミスではありません。分母の定義が本文と違います」

復職率を五十八パーセントへ直し、〈退職者を含む〉という注記を入れる。見出しも〈復職を阻むもの〉へ変えた。営業担当が声を荒らげたが、依織は広告主へ元データの該当箇所を添付して確認メールを送った。

「赤を入れすぎましたか」

佐和が小さく尋ねた。

「赤字は誰かを責める色じゃない。読者に見えないものを、見えるようにする色」

返事は七分後に来た。広告主の調査部から、修正承認と謝罪。営業担当は何も言わず、校了印を押した。

依織は白い余白に残った消し跡を指で払った。引き留めの面談で言われた「細かすぎる」は、もう欠点には聞こえなかった。

修正版を入稿し、同じメールに退職届のPDFを添付する。続けて、独立系の検証メディアから届いていた試用原稿の依頼を開いた。

〈引き受けます〉

送信すると、赤字のない白い画面が静かに光った。