林檎のタルトを下げた夜

公爵家の婚約披露宴で、ミレイユの前にだけ林檎のタルトが置かれなかった。

代わりに運ばれたのは、蜂蜜を落とした白いチーズだった。添えられた胡桃まで、彼女が好む細かさに砕かれている。

「まあ。田舎育ちのご令嬢は、王都の菓子がお嫌い?」

正面の伯爵夫人が扇の陰で笑う。ミレイユは膝の上で指を組んだ。林檎が嫌いなのではない。幼いころ、罰として腐りかけの林檎を食べさせられて以来、煮た匂いだけで息が詰まる。それを話したのは一度きり。婚約者であるアステル公爵が、執務室で余った菓子を差し出した日のことだった。

広間の端では、給仕長が青ざめていた。

「私の指示だ」

アステルが冷たい声で言った。さきほどまで遅れた楽団に減俸を告げ、祝辞を噛んだ男爵を一瞥だけで黙らせた人だ。同じ口調なのに、ミレイユの皿へ視線を落としたときだけ、目元がわずかにほどける。

「彼女は林檎の火を通した匂いが苦手だ。以後、同じ卓に出すな」

「しかし公爵閣下、今夜の献立は王妃殿下がお選びで――」

料理長の抗弁に、広間が静まった。王妃の選んだ菓子を下げるなど、無礼と取られてもおかしくない。

ミレイユは慌てて袖を引いた。

「私は大丈夫です。皆さまに合わせますから」

アステルはその手を握り込まなかった。ただ袖を引かれた分だけ身を寄せ、低く問う。

「大丈夫なのか。それとも、我慢できるだけか」

答えを急かさない声だった。

ミレイユは胸の奥で、長く染みついた言葉を押しのけた。好き嫌いを言う娘は愛されない。場を乱す者は捨てられる。けれど彼は、たった一度こぼした不快を、王妃の献立より重く覚えていた。

「……食べたく、ありません」

「承知した」

アステルは立ち上がり、客たちを見渡した。その目は冬の刃のように冷たい。

「今後、公爵家の食卓でミレイユに我慢を求める者は、私の客ではない。婚約者だから従わせるのではない。彼女が嫌だと言ったから下げる」

そして彼は料理長ではなく、ミレイユにだけ尋ねた。

「次の皿も、君が選ぶか?」