棘を抜いた娘と白狼の王
北門に白い巨影が現れたとき、城下の鐘は七度も鳴らされた。
「霜天狼だ! 目を合わせるな!」
兵たちは槍を並べ、商人は荷車の下へ潜った。雪を降らせ、ひと晩で軍勢を凍らせたと伝わる神獣である。
薬草売りのリネットも逃げるべきだった。
だが、白狼が一歩進むたび、右の前脚だけがわずかに遅れるのを見てしまった。
山羊も犬も、痛む脚を隠す。弱みを見せれば群れから置いていかれるからだ。幼い頃から薬草代の代わりに家畜を診てきたリネットには、その強がりがよく分かった。白狼の爪痕は深いのに、右側だけ雪を掻く線が浅い。
「待って。あの子、怒ってるんじゃない」
「何を言う、下がれ!」
「痛いんです」
狼が牙を見せた。兵が悲鳴を上げる。
リネットは薬籠を置き、雪の上に膝をついた。大きく見せないよう背を丸め、空の両手を見せる。
「触らない。まず、見せて」
白狼の吐息が髪を凍らせた。金の瞳が彼女を射抜く。
それでもリネットが動かずにいると、巨大な右脚が、どすん、と目の前へ置かれた。
肉球の間に、黒い棘が深く刺さっていた。魔除けの柵に使う鉄棘だ。抜こうと掴めば、狼の喉が低く鳴る。門壁の雪が落ちた。
「痛いよね。一度だけ、我慢して」
薬酒を垂らし、棘の根元を小刀で浮かせる。
一息で引き抜いた。
白狼が天を仰いだ。咆哮とともに冷気が吹き抜け、兵の列が尻もちをつく。
けれど、リネットの手は噛まれていなかった。
傷へ軟膏を塗ると、狼は右脚を地につけた。確かめるように一度、二度踏みしめる。抜いた棘を鼻先で嗅ぎ、牙で粉々に噛み砕いた。兵たちはまた後ずさったが、リネットには、ようやく腹を立てる相手が分かっただけに見えた。
そして白狼は槍も王城も見ず、まっすぐリネットへ向き直った。
「もう、帰れるよ」
そう言った途端、白い頭が彼女の膝へ落ちてきた。
あまりの重さに尻もちをつく。兵たちが息を呑む中、霜天狼は目を閉じ、耳の後ろを撫でろと言わんばかりに鼻先を押しつけた。
毛は雪より白いのに、指を沈めると驚くほど熱かった。
両膝を占領するその重みだけが、逃げなかった者への答えだった。