母の参観日

「明日の参観日、何を着ていけばいいかね」

 夕飯のあと、母が箪笥を開けながら言った。

「来なくていいよ。恥ずかしいから」

「授業中、手を挙げないんだろう。ちゃんと見張らないと」

「子どもじゃないんだから」

「何歳になっても、私の子だよ」

 母は笑い、私のシャツの襟を直した。

 国語の課題は〈家族への手紙〉だった。私は鉛筆を握り、最初の一行を書くのに十分かかった。

〈おかあさんへ〉

 先生に習うまで、「感謝」の二文字を読めなかった。自分の住所を書くときも、役所の見本をそっくり写してきた。だから母の前で音読するのが怖かった。つかえれば、きっと昔のように頭を撫でられる。それが何より恥ずかしい。

 翌日の教室には、家族が大勢来た。私はいちばん後ろの席で、手紙を何度も折ったり開いたりした。

「次は、六角井泰造さん」

 名前を呼ばれ、教壇へ立つ。

 参観者の視線が集まった。母は最前列で背筋を伸ばしている。九十八歳の体には重いはずの紺の着物を着ていた。

 私は七十四歳だった。

 父を早くに亡くし、八歳から家計を助けるため市場で働いた。母は何度も学校へ行かせようとしたが、二人が食べるだけで精いっぱいだった。工場を退職してから夜間中学へ入り、今日が初めての授業参観だった。

 教室には十代の生徒も、外国から来た若者もいる。私だけが震えているわけではない。

 手紙を開いた。

「おかあさんへ。ぼくを学校に行かせられなかったことを、ずっと謝っていましたね」

 母の顔が滲んだ。

「でも、ぼくは知っています。あなたが、ぼくの分まで働いていたことを。だから、あれはあなたのせいではありません」

 何度かつかえた。それでも最後まで、自分の声で読んだ。

「今日、ぼくは初めて、あなたに手紙を書けました。参観日に来てくれて、ありがとう」

 読み終えると、母は拍手も忘れて泣いていた。

 席へ戻った私の頭を、母は昔と同じ手で撫でた。

 今度は、少しも恥ずかしくなかった。