水やり当番は決めていません

水やり当番は、決めていません

駅裏の共同花壇は、誰が世話をしているのか分からなかった。

春にはチューリップ、夏にはマリーゴールド。通勤途中の私は、きれいだと思いながら一度も立ち止まらなかった。

夫を亡くした年の八月、町は記録的な暑さになった。夫は生前、ベランダの鉢へ水をやる人だった。私は花の名前を覚えず、枯れれば新しい苗を買えばいいと思っていた。朝六時でも土は白く乾き、花は首を垂れていた。それでも私は通り過ぎた。仕事へ行くこと、帰って一人分の夕食を温めること、それだけで精いっぱいだった。

三日目、花壇の前に空のペットボトルが一本置かれていた。側面には子どもの字で、〈お水をあげたい人へ〉と書いてある。

私は駅の水道で満たし、端の一株だけに注いだ。

全部は無理だった。一本分なら、できた。

翌朝、ボトルは三本に増えていた。花壇の中央だけ土が濡れている。誰かが続きをしたらしい。

その次の日、犬の散歩中の男性が水をやっていた。コンビニ店員は開店前に一列。制服姿の中学生は、部活帰りに二本。顔を合わせても、誰も「当番」を名乗らなかった。

私は毎朝、一株ずつ水をやった。

ある日、小さな女の子が尋ねた。

「おばちゃん、ここの係?」

「違うよ」

「じゃあ、どうして?」

答えに迷い、私は言った。

「花が疲れてるみたいだったから」

女の子はうなずき、自分のボトルを隣の株へ傾けた。

秋、花壇の端に手書きの札が立った。

〈水やり当番は決めていません。

気づいた日に、一株だけお願いします〉

誰が書いたかは分からない。

その冬、私は初めて、夫の命日に休暇を取った。朝から何もできず、昼過ぎに花壇へ行った。枯れた茎の間から、秋に植えた球根の芽が一つ出ていた。

私は水を注ぎ、ベンチへ座った。

犬の男性が黙って隣へ座り、コンビニ店員が温かい缶コーヒーを一本置いた。誰も夫のことを知らない。だから慰めの言葉もなかった。

ただ、私が立てない日は、誰かが花壇へ水をやった。

小さな親切とは、誰かを元気にすることではない。

その人が一株ぶんしか動けない日に、残りの花を枯らさないことなのだ。