洗濯機が止まるまで
白水まどかが数学の問題集を開いていたのは、駅前のコインランドリーだった。
母が入院してから、まどかは弟二人の服を洗う係になった。放課後は洗濯、夕方は夕食。勉強を始めるころには眠くなり、数学の点は十八点まで落ちた。
同級生の塔ノ沢研が見つけたとき、まどかは二次方程式の頁を開いたまま、回る洗濯物を見ていた。
「答え、写す?」
「いらない」
「じゃあ、教える」
「もっといらない」
研は帰らず、隣の椅子へ座った。
「洗濯機が止まるまで三十二分。一問だけなら間に合う」
「三十二分で何が変わるの」
「少なくとも、空欄が一つ減る」
最初の日は、まどかが鉛筆を持つまで十一分かかった。研は急かさず、自分の宿題をして待った。
「どこから分からない?」
「全部」
「じゃあ、分かるところを探そう」
数字を移すたび、研は理由を聞いた。間違えても答えを言わず、「その一行までは合ってる」と、残った足場を示した。
洗濯機が止まると、そこで終了した。
翌日も、その次の日も、二人は一問だけ解いた。乾燥機の日は四十分。毛布の日は五十二分。弟の靴下が片方なくなった日は、捜索で補習が中止になった。
ある日、迎えに来た弟が尋ねた。
「お姉ちゃん、頭悪いから教えてもらってるの?」
まどかが固まると、研は問題集を指した。
「違う。分からないところを見つけるのが上手いから、一緒に調べてる」
弟は納得し、姉の隣で宿題を始めた。
試験の日、まどかは六十二点を取った。
答案を見せると、研は大げさに驚かなかった。
「四十四点増えた」
「そこは百点みたいに喜んでよ」
「次に伸びる分がなくなる」
まどかは笑った。久しぶりに、点数を誰かに見せても恥ずかしくなかった。
卒業前、研が部活のけがで一か月休んだ。今度はまどかがノートを持って見舞いへ行った。
「英語、教える。私のほうが三点高いから」
「三点で先生になるの?」
「一問だけならなれる」
二人は病室の面会時間が終わるまで、一文だけ訳した。
その春、まどかは弟たちの宿題を見るとき、答えを先に言わなくなった。
「どこまで分かる?」
あのランドリーで聞いた言葉を、今度は自分が使った。
教えることは、分からない人を遠くまで引っ張ることではない。
同じ場所へ座り、次の一問が始まるまで待つことなのだ。