火を見ているだけの男

光学ガラス工場の炉前で、百々燈弥は一日の大半を黙って立っていた。

温度計は自動、原料の投入も機械。けれど燈弥は炎の縁が青くなる瞬間や、坩堝の底から返る低い音を聞き、わずかでも違えば投入を止めた。若い職人には理由を説明し、炉ごとの癖をノートへ残した。

新任工場長の志岐孝昌には、それが何もしていないように見えた。

「機械が管理している横で火を眺めるだけか。給料泥棒にもほどがある」

大型天体望遠鏡用レンズの受注が決まった朝、志岐は燈弥を解雇した。検査で弾く量が多すぎて利益を減らしている、というのが理由だった。

燈弥は三十冊の私物ノートだけを箱へ入れた。引き継ぎを求められると、炉温表と作業手順書の保管場所を伝えた。志岐は鼻で笑った。

「それで十分だ。職人の勘なんて時代遅れだよ」

翌月、工場の新しいガラスには細い脈が走った。研磨すれば消えると志岐は出荷を急がせたが、脈は光を曲げ、観測像を二重にした。作り直すたび別の場所に濁りが出た。納期は三度延び、望遠鏡計画そのものが止まりかけた。返品された円盤は倉庫に積み上がり、夜勤の若手は燈弥のノートを探したが、そこに書かれていたのは数字だけではなく、その数字を疑う条件だった。志岐には読み解けなかった。

その頃、燈弥は従業員十二人の北辰光材へ移っていた。古い炉の音を一週間聞き、燃焼口を二ミリ削り、原料を入れる間隔を七秒ずらした。半年後、北辰光材が試作したレンズは、干渉計の画面にほとんど歪みを出さなかった。

観測所の選定会議で、志岐は自社の再試作品を机へ置いた。

「量産設備なら弊社が上です。小工場に国家計画は任せられません」

所長は二枚の測定結果を並べた。志岐の側は波打ち、北辰の側は静かな円を描いていた。

「設備と契約するのではありません」

所長は北辰光材の契約書を燈弥へ向けた。

「百々さんが炉前に立つ製造線と契約します」

燈弥が署名した瞬間、志岐の携帯から旧工場の緊急停止警報が鳴った。