火竜騎士の雪解けパイ
菓子店〈赤い匙〉が開いて七日目、初めて鳴ったドアベルは、氷を打ち合わせたような音だった。
店主のリノアが顔を上げると、黒い外套の男が入ってきた。火竜騎士ドラク。胸の竜章は本物なのに、王都では「竜に見放された臆病者」と笑われている。
「温かいものを。舌ではなく、喉の奥まで届くものを」
言葉のたび、彼の唇に白い霜が浮いた。北境で氷魔獣を倒した際、吐息を凍らせる呪いを受けたのだという。竜を操る号笛を吹こうとすれば、笛穴が凍り、命令が届かない。明朝の出陣で吹けなければ、騎士章を返せと告げられていた。
今朝も厩舎で試した。号笛に口をつけた途端、氷がひび割れ、見物人の笑い声だけが残った。それでも相棒の火竜は、柵の向こうで一歩も動かなかった。見放したのではなく、命令を待っている。その目を思い出すからこそ、ドラクは騎士章を外せずにいた。外套の襟にも、何度も笛を吹こうとして砕けた氷片が残っていた。手袋の中の指は冷え切っている。それでも彼は、相棒へ届く一音を諦めていなかった。
リノアは窯から小さな林檎パイを出した。表面には火蜜を塗り、中央に赤い香辛料を一筋だけ振ってある。
「雪解けパイです。熱さで溶かすのではありません。あなたの息が火だったことを、喉に思い出させます」
ドラクは半信半疑でかじった。さくり、と薄皮が割れ、煮林檎の酸味のあとから火蜜の甘さが駆け上がる。白かった息が淡い橙色に変わった。
彼は腰の号笛を抜いた。最初の一音は震えた。二音目は澄み、三音目は窓硝子を鳴らした。
遠くの厩舎から、腹の底を揺らす竜の咆哮が返った。
ドラクは目を閉じた。霜の消えた唇が、初めて笑った。
「値段は銀貨二枚だったな」
彼は金貨を一枚置いた。
「釣りではない。明朝までに、同じものを十二個。俺の隊は、誰一人置いていかない」
外套を翻して出ていく背中には、もう敗残者の影はなかった。リノアが初売上の金貨を掌にのせた、その直後。
ちりん、と二度目のドアベルが鳴った。