灰色首輪の解約日
「その首輪、今日で期限切れです」
契約鑑定士エイルがそう告げると、奴隷商ドーマは腹を抱えて笑った。
雨の市場。檻の中には灰狼の獣人バルグが座っている。首には鉄の輪。輪から伸びる鎖の先を、ドーマが靴で踏んでいた。
「永久所有契約だぞ。期限などあるものか」
「ええ。だから切れるのは契約ではなく、あなたの商会です」
エイルは一枚の羊皮紙を掲げた。所有契約の末尾にある、米粒より小さな認可番号。偽造された番号だった。
だがドーマは鼻で笑う。
「偽造でも首輪は動く。命令権は俺にある。バルグ、その男の腕を噛み砕け」
灰狼の体が勝手に跳ねた。牙がエイルの喉へ迫る。
エイルは避けなかった。ただ、人差し指で首輪の認可石に触れる。
「無効契約の強制執行は、術者へ全反転」
乾いた音がした。
バルグの牙はエイルの皮膚一枚手前で止まり、代わりにドーマが地面へ這いつくばった。自分で発した「噛み砕け」という命令に、全身の筋肉を締め上げられたのだ。
「た、助けろ……俺の所有印へ書き換えれば、お前も儲かるぞ」
「人を所有して得る利益は、鑑定料に含めていません」
エイルが契約書を縦に裂く。紙の裂け目と同時に、首輪へ亀裂が走った。鉄輪は二つに割れ、泥の上へ落ちた。
「自由です。北門は開いています。追手は来ません」
バルグは首を押さえたまま立ち上がった。何度も振り返りながら市場を出ていく。やがて灰色の背は雨幕の向こうへ消えた。
エイルはドーマを衛兵へ引き渡し、濡れた鑑定鞄を拾った。
ひとりで帰ろうとした時、北門の方から足音が戻ってきた。
「行き先が、なかったのではありません」
バルグはそう言い、腰の短剣を鞘ごと差し出した。
「行き先を、自分で決めたかった」
エイルは短剣を受け取らず、隣の空いた道を指した。そこには鎖も、歩幅を決める者もいない。
灰狼は一度だけ笑い、武器を自分の腰へ戻す。そして命令の届かない距離から、自分の足でエイルの隣へ並んだ。
「その首輪、今日で期限切れです」
今度その言葉は、解約通知ではなく、二人の旅の初日を告げていた。