灰鍵は扉を開けない
魔王の爪が黒い聖堂の床をえぐり、蓮司の足元へ毒の沼を広げた。
「解毒薬が落ちた! レンジ、拾え!」
仲間の声に手を伸ばす。だが、視界の端で鞄の表示が赤く点滅した。
【所持枠 20/20】
「何か捨てろ!」
蓮司は一覧の最下段を見た。始まりの村で、名もない墓守から押しつけられた灰色の鍵。攻撃力も売値もない。
【灰鍵】
【破棄不可】
【この鍵は、いかなる扉も開けない】
「またそれかよ!」
隊長のバルドが吐き捨てた。毒で体力が削れ、蓮司は解毒薬を拾えない。役立たずの鍵を抱えたまま死ぬなど、笑い話にもならない。
そのとき、魔王の背後で巨大な門が開いた。門の向こうには青空ではなく、ログイン画面が無数に並んでいた。新しいプレイヤーが光の粒となり、次々とこの世界へ落ちてくる。
「増援だ!」
バルドは喜んだが、蓮司は凍りついた。落ちてきた者たちは全員、悲鳴を上げていた。ログアウト不能になった自分たちと同じ顔だった。
灰鍵は旅の間ずっと蓮司を困らせてきた。宝箱が満杯でも捨てられず、商人には値段が付かず、百を超える扉へ差しても反応しない。仲間からは《初心者の呪い》と呼ばれた。渡した墓守だけが、「鍵を、閉じたものに使うとは限らん」と笑っていた。その意味を、蓮司は今まで考えもしなかった。
開き続けること自体が、災厄なのだ。
【門番プロセス】
蓮司は毒沼を蹴り、魔王ではなく門へ走った。扉の中央に鍵穴はない。代わりに、開いた門の蝶番へ灰色の溝が一本走っている。
「その鍵は扉を開けないんだぞ!」
「だからだ!」
灰鍵を溝へ押し込む。鍵は回らず、折れるような音を立てて門と一体化した。降りかけていたプレイヤーの光が逆流し、ログイン画面の向こうへ吸い戻される。
バルドたちが魔王を押さえ、閉じかけた隙間から最後の新人を外へ突き返した。蓮司の毒表示は真っ赤なままだったが、不思議と恐怖はなかった。勝利とは、玉座に立つことではなく、これ以上誰も落ちてこない状態なのだと分かった。
魔王の爪が蓮司の背を貫いた。床へ倒れながら、彼は閉じていく門を見た。
【メインクエスト《魔王討伐》失敗】
【隠しクエスト《最後の入場者》達成】
【灰鍵の用途を確定しました――世界への扉を永久封鎖】
【新規ログインを停止。内部プレイヤーの現実転送を開始します】