焦げ跡の升

 兵糧奉行の蓑輪惣八郎は、焦げた一升升を膝の前に置いた。

 城兵七十三。残った米は八升。粥にしても、明日の暮れまでは持たない。昼には軍馬を一頭潰したが、肉は負傷者へ回り、骨まで煮た鍋には脂の輪すら残っていなかった。

 広間の向こうでは、包囲軍の使者・伊庭主膳が笑っていた。

「蔵が焼けたそうだな。今夜、門を開ければ雑兵の命までは取らぬ」

 惣八郎は返事の代わりに升へ米を入れた。底が見えるほど薄い。黒く焦げた木目の間へ、白い粒が散った。

 城主の千賀右京が睨む。

「惣八郎」

「隠すほど残っておりませぬ」

 主膳は身を乗り出した。鼻が利く男だ。嘘を見せれば疑う。真実を見せれば信じる。

 惣八郎は升を使者の前へ滑らせた。

「これが最後の一升です」

 実際には八升ある。だが七升も一升も、籠城の日数にすれば同じだった。

 主膳は焦げ跡を爪でこすった。煤が指につく。満足そうに立ち上がる。

「夜半まで考えろ。返事がなければ、明朝には総攻めだ」

「明朝?」

 惣八郎はわざと声を掠れさせた。

「いや、腹を減らした兵は夜を越せまい」

 主膳の口元が動いた。その一瞬で十分だった。

 使者が去ると、右京は升を蹴ろうとして止めた。

「なぜ一升と言った」

「敵は明朝まで待ちませぬ。今夜来ます」

「こちらは矢も少ない」

「だからです。夜なら敵も弓を使えない。東門前の道は、焼けた蔵の材木で狭めてあります。三人ずつしか通れぬ」

 惣八郎は升の底から、一粒だけつまんで噛んだ。生米は歯の間で小さく砕けた。兵糧奉行になって十五年、米の音を頼もしいと思ったことは何度もある。これほど乾いた音を、刃物のように感じたのは初めてだった。

「飢えて死ぬか、腹を見せて噛みつくか。選べるうちに選びましょう」

 遠くで陣太鼓が二度鳴った。主膳が総大将へ報告を終えた合図だった。続いて、闇の向こうで松明が一斉に動き始める。

 右京は焦げた升を拾い、軍配のように掲げた。

「惣八郎、米を兵に配れ」

「一人、十粒ほどです」

「噛ませろ。最後に何を食ったか、忘れぬ量だ」

 城主は立ち上がり、声を落とした。

「東門を開けろ」

 太い閂が、闇の中で抜かれた。