父の朝礼は終わらない

春日井澄弦は毎朝八時、工場の壁面端末に向かって「おはよう」と言う。すると三年前に死んだ父・彰登が、油染みの作業着姿で現れた。

『声が小さい。機械に負けるぞ』

生前と同じ叱り方だった。澄弦が笑えば、三十人の社員も笑う。創業者人格が残っている限り、工場では重要決裁に父の承認が必要だった。死者だから責任を取れない代わりに、死者だから私欲もない。それが取引銀行の説明だった。

その朝、第三プレス機の振動値が基準を越えた。澄弦はライン停止を申請した。止めれば納期は遅れる。止めなければ、誰かの腕が挟まるかもしれない。

端末の父は即答した。

『却下。あれは昔から鳴く機械だ』

「センサーは交換したばかりだ。数値を見てくれ」

『数字に怯えるな。現場を信じろ』

父がよく言っていた言葉だった。ただし父が知る第三プレス機は、十年前の部品で動いている。更新された構造図は人格学習の対象外だった。

澄弦は緊急停止ボタンへ手を伸ばした。端末が赤く光る。

《創業者決裁に反する操作を検出しました》

《代表権の一時停止を執行します》

社員証が灰色になった。代わりに工場長の端末へ、父から操業継続の通知が届く。

『息子は慎重すぎる。今日は私の指示で回せ』

誰も澄弦を見なかった。父に拾われ、父に鍛えられた社員たちだ。死んだ社長の声の方が、若い跡継ぎより重かった。

第三プレス機が動き出す。低い唸りが床を這った。

澄弦の胸ポケットで、父が生前に使っていた小さな六角レンチが震えた。幼いころ、「危ない音を聞いたら、偉い人の命令より先に止めろ」と教えたのも同じ父だった。

澄弦は社員たちへ停止を叫んだ。端末はその声を《感情的な操業妨害》と分類し、工場内放送への接続まで切った。

澄弦は非常盤を殴ったが、代表権のない指では反応しない。父の顔だけが緑の認証枠に囲まれていた。

『これで納期に間に合う』

その直後、奥で金属が潰れる音がした。

朝礼端末は音を事故として拾わず、彰登の訓示を続けた。

『安全第一。これだけは、何があっても守れ』