王都より先に卵がゆだる
宮廷魔導具整備士だったカイナに与えられたのは、辺境の外れにある「硫黄臭くて作物も育たない土地」だった。
追放を言い渡した長官は笑っていたが、着いたカイナは笑い返した。崩れかけた小屋の裏で、白い湯気が朝日を押し上げていたからだ。
ただし温泉は、石造りの古い湯船まで届いていない。途中の溝で泥水になり、地面へ消えている。
「今日は、ここだけ直す」
家も畑も後回しにし、カイナは膝をついた。整備士の固有技能《流路視》を使うと、赤い光の筋が土の下で途切れている。掘り返すと、拳より大きな黒い岩が三つ、狭い水路に食い込んでいた。
王都の給湯塔でも、似た詰まりを何度も直した。功績はいつも設計官のものになり、泥だらけのカイナは裏口から帰された。だがここでは、直った湯を最初に使うのも、誰を褒めるのか決めるのも自分だ。彼女は袖を肘までまくり、温かな泥へ両手を差し込んだ。
王宮なら作業員を十人呼ぶところだ。だが彼女は梃子にする枝を削り、平石を支点にして、一つずつ押し上げた。爪の間へ黒い泥が入り、掌には枝の跡が赤く残った。それでも、自分のために汚れた手は不思議なくらい誇らしかった。最後の岩が転がった瞬間、地の底で低い音がした。
ごぼり。
次いで、澄んだ湯が溝を駆けた。白い筋が古い湯船へ注ぎ、冷えて灰色だった石をみるみる濃く染めていく。湯気には鉱石と雨上がりの土の匂いが混じっていた。
カイナは荷物から卵を二つ出し、籠に入れて湯口へ沈めた。小屋の前では携帯炉に載せた黒パンがぱちぱちと焼ける。
そこへ伝令鳥が降り、金の封蝋つきの書状を落とした。
『至急帰還せよ。王都の給湯塔が停止した』
封筒の表だけで内容は分かった。自分を無能と呼んだ長官の署名もある。
カイナは封を切らず、卵の籠を引き上げた。殻を割ると、黄身からやわらかな湯気が立つ。岩塩をひとつまみ。焼けた黒パンを浸すと、香ばしい音がした。
「塔は冷めても、卵は待ってくれないからね」
王都からの手紙を石の上に置き、カイナはまず、辺境で最初の夕食を口へ運んだ。