発車ベルより遅い

十八時四十二分。仙台行きの発車まで、あと十分だった。

遼太が改札前の柱にもたれていると、紗英が人波を割って走ってきた。肩で息をしながら、透明な袋に入れた古いスマートフォンを差し出す。

「直った。画面だけだけど」

「わざわざ持ってこなくても」

「今日しか渡せないでしょ」

二年前、遼太が置いていった端末だった。二人で撮った写真も、旅行の予約も、別れ話の途中で止まった録音も入っている。紗英の部屋の机で、ずっと電源が切れたままだった。透明ケースの裏には、初めて遠出したときの水族館の半券が挟まっている。色は褪せても、日付だけは読めた。

遼太は起動し、初期化の項目を探した。紗英は電光掲示板ばかり見ていた。

メッセージアプリを閉じようとしたとき、宛先が紗英になった下書きが一件だけ残っていた。

〈転勤を断った。だから、もう一度だけ話したい〉

作成日は、別れた日の午後五時十一分。遼太自身にも覚えがなかった。駅へ向かう途中、何度も書き直し、送信する前に端末を落として壊したのだ。あの日、紗英は「仕事を選んだ人とは続けられない」と言い、遼太は反論できなかった。

遼太が今日乗る電車は、二年前に断った転勤先へ向かうものだった。別の会社に移り、今度は自分から選んだ。

「断ってたの」

紗英の声が、発車案内に消えかけた。

「言おうとした。これが壊れて、会えば伝わると思った」

「会ったとき、何も言わなかった」

「君が、もう部屋を出るって決めてたから」

紗英は唇を結び、腕時計を見た。あと六分。

「私も待ってた。連絡が来たら、荷物をほどこうって」

「じゃあ、どうして」

「来なかったから」

遼太が下書きを送信しようとすると、紗英が首を振った。

「今送ったら、今の私に届く」

左手の細い指輪が、改札の光を返した。遼太は初めてそれに気づいた。

発車ベルが鳴る。紗英は端末を受け取り、「消しておく」と言った。遼太は笑おうとして、うまくいかなかった。

二年前なら、たった一行で止められた。今は、その一行が二人の間に置かれた時間の重さを知らせるだけだった。

遼太は片道切符を改札に通し、仙台行きの電車に乗った。