白い封筒の裏側

白い封筒は、冷蔵庫の扉に三週間貼られていた。

高校からの友人、澪莉の結婚式。金の箔押しで書かれた日付は、製本教室の春期本科の申込締切と同じだった。

佐帆は毎朝、牛乳を出すたびに封筒を見た。式にはもちろん行く。そう決めているのに、返信はがきの「出席」に丸をつけられない。そこへ丸を描けば、もう一枚の紙に書く時間がなくなる気がした。

製本は七年前からの趣味だった。残業続きの夜、傷んだ文庫本を糸で綴じ直すと、自分まで一冊の形に戻れるようだった。本科は土曜の朝から夕方まで。半年間。受講料は、貯めていた旅行費用のほとんどだった。

見学会で、六十代の受講生がほどいた糸を机いっぱいに並べ、「遅く始めると、失敗する時間も大事になるの」と笑っていた。その言葉だけが、帰宅しても佐帆の指先に残った。

「二十九にもなって、趣味にそこまで?」

誰にも言われていない言葉を、佐帆は自分で先回りして聞いていた。

澪莉からメッセージが届いた。

〈席札、旧姓で作る最後の大仕事かも。返事だけ忘れないでね〉

写真には、招待状を一枚ずつ封入する澪莉の手が写っていた。左手の指輪より、紙を折る親指の赤い跡が目に残った。

佐帆は冷蔵庫から封筒を外した。返信はがきに出席の丸をつけ、余白へ「当日、あなたが選んだ景色を見に行きます」と書く。それから机の引き出しを開け、製本教室の申込書を出した。

職業欄で手が止まった。会社員、と書けばいいだけなのに、その四文字が自分の全体みたいで嫌だった。けれど消さなかった。会社員のまま通う。疲れたら休むかもしれない。半年後に何者にもなっていないかもしれない。

それでも名前を書いた。

二枚の紙を並べる。片方は友人が選んだ未来へ届き、もう片方は、まだ名前のない自分の土曜日へ届く。

ポストへ向かう途中、佐帆は封筒を取り違えていないか三度確かめた。正しい方へ出したかったのではない。どちらも、自分が出したと忘れないためだった。

投入口の奥で、二つの封筒が別々の音を立てた。