白衣を畳む午後

浅羽雛乃は、病院の女子更衣室で白衣を三枚、同じ幅に畳んだ。

退職日に持ち帰る私物は、靴とマグカップと、母が刺した名字入りのハンカチ。それだけのはずだった。けれどロッカーの奥から、看護学校の入学式に着た紺のスーツまで出てきた。母が「これで一生困らない」と選んだ服だ。

スマートフォンが鳴った。母からだった。

「今日、師長さんにちゃんと謝った?」

雛乃は白衣を箱へ入れながら答えた。

「辞めることは謝ることじゃないよ」

「せっかく看護師にしてあげたのに。次も病院でしょう?」

母は雛乃を、親戚の前でいつも「うちの看護師さん」と呼んだ。名前より資格のほうが先に紹介された。勤務中に吐き気がしても、夜勤明けに涙が止まらなくても、その呼び方だけは誇らしげだった。

雛乃は箱から白衣を一枚取り出した。返却棚へ戻し、残りも続けた。持ち帰る必要はない。次に働く製本工房では着ない服だった。

「来月から、本を直す仕事をする」

受話口が静かになった。

「趣味でしょう、それは」

「仕事として採用された。続くかは分からない。でも、続くかどうかを決めるのも私」

母はため息をつき、「雛ちゃんは昔から手先だけは器用だったけど」と言った。褒め言葉の形をした、小さな格下げだった。

雛乃は名字入りのハンカチも箱から出した。

「これから親戚に、看護師を辞めた理由を説明しなくていい。私のことを話すなら、雛乃は雛乃でいい」

「そんな他人みたいな」

「他人になるんじゃない。職業を娘の名前にしないでって言ってるの」

母はすぐには返事をしなかった。やがて「製本工房って、何時に終わるの」と尋ねた。

許されたわけではない。けれど母は初めて、辞めた病院ではなく、雛乃がこれから行く場所について質問した。

電話を切り、雛乃は空になったロッカーの鍵を返却箱へ落とした。紺のスーツだけは古着回収の袋へ入れる。持ち帰る箱には、靴とマグカップだけが残った。

白衣のない箱は、片手で持てるほど軽かった。