的の裏側
弓道場に残った的は、一つだけだった。
三年生の最後の稽古は、一人一本。もう弓袋を後輩へ渡した者まで、借りた弓で射位に立った。中るたびに歓声が上がり、外れるたびにも同じくらい拍手が起きた。
主将の真琴は最後だった。
「最後くらい、皆中で締めてください」
矢取りをしてきた二年の陸生が、わざと難しい顔で言う。
「一本しかないのに皆中は無理」
「主将なら概念で」
「便利だね、主将」
笑いながら立ったのに、胴造りをすると音が遠くなった。雨の日の畳の匂い、冬の巻藁、試合前に震えた指。三年間は長かったはずなのに、弓を押す左手の内側へ全部収まってしまった。
会を保つ。
的の黒は、小さい。県大会の最後も、あの黒だけを見て外した。負けたあと、真琴は誰より早く矢取りへ走った。泣いているところを見られたくなかったからだ。
今日は逃げる必要がない。
離れ。
弦音が乾いて響き、矢は的の右へ抜けた。安土に鈍い音がした。
誰かが「あ」と言い、すぐ拍手が起きた。真琴は礼をして、笑った。悔しくないと言えば嘘になる。それでも、最後の一本まで上手に終わらないのが、自分らしい気もした。
矢を拾いに行くと、陸生が的を外して裏返した。
紙の裏は、補修の和紙と古い穴で星空のようだった。中央だけでなく、端にも、枠のすぐそばにも、無数の傷がある。去年の先輩、その前の先輩、名前も知らない誰かの矢だ。
木枠の隅には、引退した者が日付を書く決まりがあった。
真琴は筆ペンを受け取り、自分の名を書いた。隣には三年間を一緒に射た仲間の名が並ぶ。正面からは絶対に見えない場所だった。
「先輩の最後の矢、ここです」
陸生が安土から抜いた矢を差し出した。白い羽に砂がついている。
「外れたね」
「的の裏には届きませんでした」
「当たり前でしょ」
「だから、名前だけ残してください」
真琴はもう一度、裏側を見た。
的は中てるためにある。でも、三年間が残るのは、中った場所ではなかった。
最後に皆で的を壁へ戻す。白い正面がこちらを向き、名前も傷も隠れた。
真琴は弓道場を出る前、誰にも見えない裏側へ、小さく一礼した。