監察票の裏面
監察票には、瀬名垣敦史巡査が単独で男を制圧したと書かれていた。
蜂須賀澪監察官は、取調室の机にその複写式用紙を置いた。路上生活者の肋骨が三本折れた夜、瀬名垣のボディーカメラは電池切れ。同行者はいなかったという。刑事部は「若手一人の過剰制圧」で処分案まで作り、正午の本部長会議に間に合わせるよう求めていた。
「あなたが殴ったんですね」
瀬名垣は否定しなかった。だが、署名欄へ手を伸ばす前に、澪は監察票を裏返した。
薄い紙の裏には、筆圧だけが残っていた。鉛筆を寝かせると文字が浮かぶ。
――二名で押さえる。杉戸警部が腹部を蹴る。映像は回収。
最初に書かれた報告だった。表面は二枚目で、内容だけが差し替えられている。
「これを書いたのは?」
「俺です。杉戸警部に破られたと思ってた」
瀬名垣は笑った。乾いた、諦めた笑いだった。
「俺一人なら減給で済む。警部の名を書けば、同じ班の全員が嘘をついたことになる。あんたの室長も知ってますよ」
隣室から内線が鳴った。新堂監察室長だった。
『裏面は痕跡にすぎない。本人も単独行為を認めている。予定どおりまとめろ』
澪は受話器を置いた。瀬名垣の処分を軽くすることはできる。代わりに、蹴った者も、映像を抜いた者も、監察へ指示した者も残る。
「あなたを救うためじゃありません」
「分かってます」
「この紙を出せば、あなたも証言を変えた警察官として調べられる」
瀬名垣は、初めて澪を正面から見た。彼の左手首には赤い指痕が残っていた。監察の待合室へ来てから、誰かに黙れと掴まれた跡だった。署を出れば警部の部下が家の前に立ち、妻には転勤を勧める電話まで来ている。それでも、声はもう震えなかった。
「それでも、一人でやったことにはしたくない」
会議まで四分。澪は表面の処分案を外し、裏面を上にして複合機へ置いた。宛先を監察室ではなく、公安委員会と検察連絡室に変える。
送信音が鳴る直前、隣室の扉が開いた。
澪は振り返らず、緑の開始ボタンを押した。