眠る畑の朝

刈り入れの日なのに、ユーノは鎌を持たなかった。

丘の上の小麦畑では、朝日を受けた銀色の刃がひとりでに走っている。古い石柱に刻まれた《収穫》の文字が淡く光るたび、麦は根元からきれいに断たれ、束になり、縄で結ばれ、納屋の前へ積み上がった。

ユーノがしたことといえば、石柱に手を置いて「熟したものだけ」と命じたことだけだ。

王都の穀物管理局にいた頃は、夜明け前に倉庫を開け、日付が変わっても帳簿を閉じられなかった。椅子の背には、その頃の青い制服がまだ掛かっている。袖口は擦り切れ、右肩には、上司に掴まれて繕った跡が残っていた。

もう着ない。捨てる必要さえ、今日はない。

台所の通知板が、ちりん、と鳴った。

《第一畑の小麦、全量収穫完了。穀物商会への納品完了。代金入金済み》

金額は、局でひと月働いた分より少し多い程度だった。けれど、ユーノの胸に広がったものは金貨の重さではなかった。

今日、誰にも頭を下げずに食べていける。

寝坊して収穫を逃す心配も、病気の日に給金を引かれる恐れもない。石柱はユーノの体調を知らないまま、決められた仕事だけを終えた。その無関心が、今は優しかった。

その直後、机の通信晶が赤く明滅した。未読の緊急連絡は三十七件。いちばん上に、元課長の名が浮かぶ。

『新任が逃げた。今夜だけ戻れ。お前なら三人分できるだろう』

ユーノは焼いたパンに蜂蜜を垂らしながら返信した。

『できません』

すぐに晶が震える。

『できないでは困る。局が回らない』

『回らない仕組みに戻るつもりはありません』

『恩を忘れたのか』

ユーノは少し考え、最後の一文を打った。

『覚えています。だから、二度と戻りません』

通信晶の音を切る。窓の外では最後の麦束が納屋へ滑り込み、扉が自動で閉まった。

仕事は終わっている。昼の鐘までは、まだ二時間もある。

ユーノは制服を椅子から外し、代わりに薄い毛布を持って林檎の木の下へ行った。草の上に寝転ぶと、遠くで石柱が「明日の作業はありません」と小さく告げる。

その報告を聞き終える前に、ユーノは目を閉じた。