眠れない竜騎士と月白の滴
王都の外れで薬屋《銀の匙》を開いて三日目、リセルはまだ一枚も銅貨を稼げていなかった。
棚には自信作が並んでいる。だが「追放された宮廷薬師の薬」など、誰も信じない。王宮では効き目より家柄が重んじられ、彼女の調合法は古臭いと笑われた。それでも瓶の一本一本に、間違ったものはない。夕方、閉店札へ手を伸ばしたとき、扉の鈴が乱暴に鳴った。
入ってきたのは竜騎士バルガスだった。鎧には煤、目の下には深い隈がある。
「眠り薬をくれ。今夜眠れなければ、明日の飛行で竜ごと墜ちる」
「何日、眠っていません?」
「四日だ。目を閉じると戦場の音がする」
リセルは棚の奥から、親指ほどの青瓶を一つ出した。
「月白の滴です。枕に一滴だけ」
「飲まないのか」
「眠らせる薬ではありません。耳の奥に残った音を、夜の外へ追い出します」
バルガスは鼻で笑った。だが代案はない。店の長椅子に外套を丸め、青瓶を逆さにした。
一滴が布へ落ちた瞬間、かすかな雨音がした。次いで、剣戟、竜の咆哮、燃える木の爆ぜる音が、彼の耳から細い銀糸のように抜け出し、天井の換気口へ消えていく。
「……静かだ」
その一言のあと、竜騎士は眠った。
店の外では彼の騎竜が待っていた。窓から覗く巨大な金の目も、主の寝息を聞くうちにゆっくり閉じる。リセルは驚くほど穏やかな寝顔へ毛布を掛けた。窓の外が群青に染まり、やがて夜明けの鐘が鳴る。バルガスは跳ね起き、剣へ手を伸ばしてから、自分が店にいることを思い出した。
「六時間?」
「きっちり」
彼は肩を回した。重い鎧が羽のように鳴る。
「頭が冴えている。指も震えない。眠り薬なら飛行前には使えん。これは違う」
彼が指笛を吹くと、外の竜が即座に応えた。四日ぶりに、騎手と竜の呼吸が揃っている。
金貨を一枚、カウンターへ置いた。瓶十本分でも多い。
「お釣りを」
「いらん。次は竜舎の連中の分を用意しておけ。眠れないのは俺だけじゃない」
扉が閉まり、朝日が金貨を照らした。
三日間ずっと冷たかった店の空気が、ようやく動き始める。リセルが開店札を表へ返した、その直後だった。
ちりん、と二度目の鈴が鳴った。