空白の七分

取調室の時計は、二十一時四十三分を指していた。

久世理人巡査部長が時刻を告げると、小峰篤郎は初めて笑った。タクシー運転手を河川敷から突き落とした容疑で、すでに三度、自白している男だった。机には署名だけを待つ供述調書がある。

「前の刑事さんも、その時刻を言ったよ。二十一時四十三分。録音を止めてからね」

久世の背中で、監視窓の向こうがかすかに鳴った。牧田警部からの合図だ。署名を取れ。余計な話をさせるな。

「録音は止まっていない」

「なら、七分ぶん聞かせてくれ」

小峰は指を七本、机に置いた。録音管理画面には、前回取調べの音声が二時間十二分ある。しかし機器ログには、二十一時三十六分に停止、四十三分に再開した記録が残っていた。停止操作に使われたのは牧田の管理者カード。報告欄には『自動更新による瞬断』とある。

「その七分で、何を言われた」

「娘の勤め先。妻の通院日。俺が署名しないなら、家族も同じ机に座らせるって」

「証明できるのか」

「できない。だからあんたを見てる」

小峰は調書を久世へ押し戻した。

「俺が本当にやったかどうかで決めるなよ。罪のある人間には、何をしてもいいのかで決めろ」

その言葉こそ心理戦だと、久世には分かっていた。小峰は犯行現場にしかない赤土を靴底に付けていた。無実とは限らない。むしろ有罪の可能性は高い。だが、だからこそ七分を消せば、次から警察は誰にでも同じことができる。

監視窓が二度鳴った。牧田の苛立ちだ。

久世は調書を裏返し、端末で機器ログの原本を開いた。宛先を刑事課長ではなく、監察直通に変える。件名は『録音停止を伴う威迫の疑い』。添付欄に七分の空白と管理者カード番号を入れた。映像には音のない七分が残り、小峰の肩が一度大きく揺れ、画面端には牧田の腕時計と袖口が映っている。自動更新なら説明のつかない、人間の出入りだった。送れば昇任推薦は消え、同僚の証言も得られないだろう。それでも、消えた七分を次の被疑者へ渡すよりはましだった。

小峰はもう笑っていなかった。

久世は署名欄からペンを離し、送信キーを押した。