窓を一枚、春へ返す
四月になっても、私は教室へ戻れなかった。
三階の美術室で出席だけを取り、窓際の席で一日を過ごす。担任は「焦らなくていい」と言った。クラスメートは「待ってる」とメッセージをくれた。どちらも優しいのに、その優しさに応える元気がない自分が苦しかった。
放課後、アゲハチョウが一匹、美術室へ迷い込んだ。
開いた扉から入ったらしい。高い窓へ向かって飛び、透明なガラスへ何度もぶつかった。羽音は小さいのに、静かな部屋では切羽詰まって聞こえた。
私は窓を一枚開けた。
けれどアゲハは、開いていない隣のガラスへ向かい続けた。外は見えているのに、そこには通れない壁がある。
「そっちじゃないよ」
画用紙で追うと、もっと激しく飛び回った。助けたいだけなのに、私が怖がらせている。
私は追うのをやめ、窓辺に腰を下ろした。
アゲハも疲れたのか、カーテンの端へ止まった。黒い羽に、淡い黄色と青の模様があった。近くで見ると、片方の尾が少し欠けている。
私は大きなスケッチブックを、羽の後ろへそっと立てた。進む方向を塞がず、開いた窓のほうだけを明るく残した。
しばらくして、アゲハは飛んだ。
一度目は窓枠へ当たり、戻った。
二度目はカーテンへ止まった。
三度目にようやく、開いた一枚を抜けた。
外へ出ても、まっすぐ遠くへは行かなかった。校庭の上を一周し、窓の近くまで戻ってから、桜の若葉の向こうへ消えた。
「うまく出られたね」
背後で、養護の先生が言った。いつから見ていたのか分からない。
「三回も失敗しました」
「出口が分かっても、すぐ通れるとは限らないものね」
先生はそれ以上、私のことへ話を移さなかった。
翌朝、私は教室の前まで行った。
扉の向こうから笑い声がして、足が止まった。取っ手へ触れ、離し、もう一度触れた。
一度目は開けられなかった。
二度目は少しだけ開けて、閉じた。
三度目に、顔が入る幅まで開けた。
中にいた友達がこちらを見た。大声で呼ばず、近づいても来ず、自分の隣の椅子を少し引いただけだった。
私は教室へ入った。
一時間で美術室へ戻ったけれど、その日は失敗ではなかった。
虫を逃がすために窓を開けたつもりだった。
けれど私は、自分のためにも、春へ通じる一枚を開けていた。