窓際の九センチ

転校まであと一週間になって、砥石の席だけが毎朝少しずつ窓へ近づいた。

最初は気のせいだと思った。掃除のあと、机の脚が床の傷から二センチずれている。翌日はさらに三センチ。黒板が斜めに見え、窓枠へ肘が当たるようになった。

「誰か動かしてる?」

朝の教室で訊いても、みんな教科書を出すふりをした。

砥石は冬休み明けに、父親の転勤を告げた。県境を二つ越える町。卒業まで残れないのかと担任に訊かれたが、残る理由をうまく言えなかった。クラスには仲のいい相手もいたし、嫌いな相手もいた。それを数えて説明するうちに、自分の三年間が引っ越し荷物の箱みたいに思えて、途中でやめた。

金曜日、机はとうとう窓へぴたりとついた。

昼休み、砥石が席へ戻ると、窓の桟に細い紙が挟まっていた。

『ここなら、隣の校庭まで見える』

隣の校庭とは、道路を挟んだ小学校のことだった。六年生が縄跳びをしている。遠くに、商店街の赤い屋根も見える。いつも教室の中央から眺めていた景色より、町が少しだけ広かった。

「九センチ」

後ろから声がした。班長が定規を持って立っている。

「何が」

「最初の位置から。九センチ動かした」

「何のために」

「持っていけない分、見せとこうと思って」

ほかの連中も集まってきた。机を運んだのは日替わりだったらしい。誰が何センチ担当したかで揉め始める。

砥石は笑いながら、窓を少し開けた。冷たい風が入り、プリントが一斉にめくれた。誰かが押さえ、誰かが文句を言う。いつもの教室の音だった。

転校当日、机は元の列へ戻されていた。

砥石は鞄を持ち、最後に床の傷を見た。四本の脚が長く擦った跡。そのうち一本だけ、窓へ向かって九センチ伸びている。

新しい町で教室の窓際を見るたび、砥石はきっと思い出す。中央の席になっても、窓までの距離を目で測ってしまうだろう。

別れの日に近づいたのは、自分の席ではなかった。

この町のほうが、最後に九センチだけ、こちらへ寄ってきたのだ。