端っこの献立
母が亡くなってから、父は野菜の端を大きく切り落とすようになった。
大根の葉、人参の皮、キャベツの芯。まな板の隅へ積み、まとめてごみ袋へ入れる。以前なら母が「そこも味がある」と笑って、きんぴらや味噌汁に変えていた部分だ。
父は料理が下手ではない。ただ、母の真似をするのがつらいのだと分かっていた。だから私は何も言わなかった。
ある晩、父が残業で遅くなると連絡してきた。冷蔵庫には、半分の大根と、しなびかけた葉。人参の皮、椎茸の軸、昨日のご飯が一膳分。
私は母の古いノートを開いた。
〈大根の葉は塩でもむ。皮は細く切る。軸は裂く。残り物ではなく、まだ料理になっていないもの〉
字の横に、油染みがあった。次の頁には、ブロッコリーの茎、かぼちゃの種、出汁を取った昆布まで、別の料理へ渡す方法が並んでいた。
葉を刻み、皮と椎茸の軸を炒め、ご飯へ混ぜた。味見をすると少し塩辛い。卵を加えて、小さなおにぎりにした。
帰宅した父は、皿を見て黙った。
「捨てるところで作ったのか」
「捨てる前だったところ」
父は一つ食べ、長く噛んだ。
「母さんの味じゃないな」
胸が縮んだ。けれど父は、もう一つ取った。
「おまえの味だ」
二人で全部食べた。大根の白い部分は、翌朝の味噌汁用に残した。
それから父は、野菜の端をすぐには捨てなくなった。使えないところと、使い方を知らないところを分けるようになった。分からなければ、二人で調べた。
もちろん、傷んだものまで無理には食べない。皮を厚くむく日もある。忙しい日は葉を使えないこともある。
それでも、ごみ袋へ入れる前に一度だけ見る。
ここまで育って、運ばれて、家まで来た食材に、まだできることがないか。
母のノートの最後には、こう書かれていた。
〈食べ物へ感謝するというのは、立派な言葉を言うことではない。その日の自分にできるだけ、最後までおいしくすること〉
父はその頁へ、新しい献立を書き足した。
〈端っこのおにぎり。少し塩辛い。卵を入れると、また食べたい味〉