笑わない証明写真
蓮見弥琴が朝映写真館の扉を押したのは、応募締切まで二時間を切ったころだった。駅の証明写真機なら五分で済む。それでも、機械の画面に表示される〈自然な笑顔で〉という文字を、今日は見たくなかった。
鞄には、製本工房の見習い募集要項が入っている。応募写真の欄だけが空いていた。前の職場では、電話に出れば「声が硬い」、会議で黙れば「愛想がない」と言われた。退職して三か月、鏡の前で口角を上げる練習だけは上手くなった。
写真館の奥には、木製の暗幕と、磨かれた丸椅子が一脚あった。店主は募集要項を一度見ただけで、椅子の高さを弥琴の肩に合わせた。笑うようには言わない。顎を少し引くよう指で示し、古い蛇腹カメラの脇に立った。
四回、シャッターが切られた。三回は練習どおりに笑い、最後だけ、フラッシュの充電を待つうちに口元が戻った。
現像された一枚の試し焼きには、四つの顔が並んでいた。笑っている三人は、面接官の機嫌を先回りしているように見えた。最後の一人は、疲れている。それでも、逃げずにこちらを見ていた。
「修整は」と弥琴が言うと、店主は注文票の二つの欄を指した。〈肌〉と〈輪郭〉。その下に、細い鉛筆で〈そのまま〉と書き足し、まだ丸をつけずに置いた。
弥琴は試し焼きを持ち上げた。工房のサイトに載っていたのは、傷のある革表紙を捨てず、糸を替えて使い続ける仕事だった。そこへ送る顔を、別人のように滑らかにするのは違う気がした。
「最後ので。そのままお願いします」
店主はうなずき、四つ目だけを小さな裁断機で切り出した。残り三つは捨てず、細長いまま薄紙に挟む。会計では修整料の行を一本線で消し、釣り銭の代わりに、写真の角が折れない厚紙を添えた。
店を出ると、駅前のポストが見えた。弥琴は応募封筒に写真を貼った。笑っていない自分の顔は、思っていたより無礼ではなかった。
封をしながら、応募動機の最後の一文を書き直す。
〈未経験ですが〉を消し、〈未経験から覚えます〉とした。
ポストの投入口は、口角を上げなくても開いた。