答えを聞かない屋上

十八時五十五分、笹森貴路は研修棟の屋上で缶コーヒーを二本買った。

一本を差し出し、言う。

「好きだ。来年も、隣にいてほしい」

彼女は受け取らず、「どうして今?」と聞いた。十九時のチャイムが鳴った瞬間、風景が白くほどける。

また十八時五十五分。自販機から同じ二本が落ちた。

貴路が使ったのは、社内研究中の〈対話再試行〉だった。五分間だけ会話を巻き戻し、相手が自発的に承諾すれば、その時間を現実として保存できる。海外赴任を明日に控えた彼女から「はい」を得る。それが終了条件だった。再試行一回につき、端末は使用者の感情記憶を一枚ずつ削る。残量表示が減るたび、二人で笑った場面が灰色へ変わった。それでも貴路は、承諾さえ保存できれば過程は惜しくないと思っていた。残量が尽きれば、彼女と出会う前まで忘れるとも知らされていた。

二周目は、出会った日のことから話した。雨の営業回り、二人で食べた伸びた麺、彼女が辞表を破ってくれた夜。

「好きだ。来年も、隣にいてほしい」

「どうして今?」

「君を失いたくないから」

チャイム。白い光。

七周目には、缶を開ける角度も、彼女が前髪を耳へかける秒数も覚えた。九周目、彼女は泣きながら「はい」と答えた。だが腕時計は赤く点滅した。

《自発性判定、不成立》

貴路が完璧にしたのは告白ではない。断りにくい空気だった。

十一周目。彼女はまた「どうして今?」と聞く。貴路は缶を足元へ置き、端末の終了画面を開いた。

〈中止する場合、起点となった感情記憶を消去します〉

「好きだ。来年も、隣にいてほしい」

同じ言葉を最後まで言ってから、彼は続けた。

「でも、返事は聞かない。君の来年を、僕の答えにしない」

彼女が何か言う前に、貴路は〈中止〉を押した。

翌朝、空港行きのロビーで、彼女が立ち止まった。

「笹森さん。昨日、屋上にいました?」

貴路は首をかしげた。鞄の底には、なぜか開けていない缶コーヒーが二本あった。

彼は一本を彼女へ渡し、名前を確かめるように尋ねた。

「甘いほうで、よかったですか」