紙の星を一枚
新居の段ボールを開けたとき、芙美乃の手に銀色の紙片が貼りついた。角が潰れ、折り目も白くなった小さな星。高校二年の文化祭で、教室を即席のプラネタリウムにした夜のものだった。
最終上映が終わると、天井を覆っていた黒布を外し、蓄光テープの星を一枚ずつ剥がした。昼間は暗闇に歓声が満ちていたのに、客が帰ったあとの教室は、蛍光灯がやけに白かった。
汐里は文化祭の翌週に転校する。家庭の事情、とだけ聞かされていた。芙美乃は寂しいと言えず、準備期間からずっと、汐里に細かい指示ばかり出していた。最後の日まで係の顔をしていれば、友達を失う顔をしなくて済むと思っていた。
脚立の上で、汐里が黒布をたたんだ。袖に一枚だけ星が残っている。芙美乃が取ろうと手を伸ばすと、汐里はそれを剥がし、彼女の胸ポケットへ入れた。
「持ってて。貼る場所が変わるだけだから」
それ以上は言わなかった。二人で布の端を合わせると、さっきまでの夜空は細長い四角になった。最後に教室の電気を消したとき、ポケットの星は光らなかった。それでも芙美乃は、そこにあることだけは分かった。
廊下では他のクラスが記念写真を撮り、何度も名前を呼び合っていた。二人はその輪へ行かず、脚立を倉庫まで運んだ。別れらしい言葉を探すほど、今まで一緒にいた時間まで作り物になる気がした。汐里は昇降口で一度だけ振り返り、胸ポケットを指した。芙美乃も、その上から星を押さえた。
汐里とは大学に入るころから連絡が途切れた。星は再会の約束ではなく、返す相手のいない紙片になった。それでも捨てられなかった。
二十七歳の今、机の上には大阪支社への異動同意書がある。行きたいと答えたくせに、送信だけを三日延ばしていた。ここを離れたら、築いたものが消える気がしていた。
芙美乃は紙の星を透明な社員証ケースに挟んだ。銀色はもう輝かない。それでも、折れた線まで自分の時間だと思えた。
同意書に署名し、送信する。空になった段ボールの側面へ「新しい部屋」と書くと、窓の外に朝の色が差した。
芙美乃は星を過去へ戻さなかった。次の場所へ連れていった。