菜の花の苦み

三月になると、杏珠は菜の花を買う。

一人暮らしを始めた年、母から「茹ですぎないで」と何度も言われた。けれど鍋から上げる時機が分からず、最初の一束は柔らかくなりすぎた。

今年は恋人の瑛春が台所にいた。

「黄色い花も食べるの?」

「そこがおいしいの」

塩を入れた湯へ茎から沈め、少し遅れて蕾を入れる。鮮やかな緑になったところで引き上げ、冷水へ放す。

瑛春が一つつまみ、「苦い」と顔をしかめた。

「まだ味つけ前」

辛子、醤油、出汁を合わせる。菜の花を絞ると、掌へ春の青い匂いがついた。

二人で小鉢を挟んだ。辛子の辛さが鼻へ抜けたあと、蕾の苦みが残る。

瑛春は来月から遠い支店へ転勤する。決まってから、二人ともその話を必要以上にしなかった。期間は一年、会えない距離でもない。

「向こうでも作れるかな」

「茹ですぎなければ」

杏珠は母と同じことを言った。

残った菜の花を弁当用の小分けへ入れた。一つは杏珠、もう一つは瑛春の明日の昼。

翌日、〈冷めるともっと苦い〉とメッセージが届いた。杏珠は〈春だから〉と返す。

転勤前夜にも、同じ料理を作った。今度は瑛春が鍋を見張り、ちょうどよいところで火を止めた。

窓の外はまだ寒い。湯気の消えた小鉢から、辛子と青い茎の香りが立つ。そのほろ苦さは別れではなく、来年も同じ季節に作れる味だった。

赴任先の春は少し遅く、瑛春が菜の花を見つけたのは四月半ばだった。茹でた写真には、花が開きすぎた黄色い茎が写っている。〈待ちすぎた〉と書かれていた。杏珠は自分の小鉢を撮って返した。こちらは蕾のままだが、辛子を入れすぎて鼻が痛い。電話をつなぎ、二人で同時に一口食べる。苦さも辛さも画面では届かない。それでも箸が器へ当たる音と、互いに息を吸う声で味が分かった。翌春に一つの鍋で茹でる約束は、黄色い花より少し長く残った。

電話を切ったあと、杏珠は残った茎を細かく刻み、卵焼きへ混ぜた。翌朝には苦みが少し和らぐ。弁当の黄色と緑を見て、遠い町でも同じ色が焼けているだろうと思った。