視聴者ゼロの挨拶
鷲尾朔弥がその注意書きを見つけたのは、廃神社からの生配信を始める三十分前だった。
郷土史掲示板の古い書き込みには、こうあった。
《蛇迎え社を夜に映す者へ。視聴者数がゼロになっても、「誰かいる?」と口にしてはいけない。ゼロは、誰も見ていない数ではない》
朔弥は動画編集を仕事にしていた。数字が壊れる理由なら、呪いより回線障害のほうを信じる。友人の配信者が発熱したため代役で山へ入り、崩れた拝殿の前にスマホを据えた。
【23:41 配信開始】
視聴者 18
コメント:画質悪い
コメント:鈴鳴ってない?
コメント:後ろ、白いの何
白いものは注連縄だった。朔弥は笑って説明した。イヤホンには、代役を頼んだ友人からチャットが届いた。
《その社、昔は参拝者を数えなかったらしい。数えた人間が最後に一人足りなくなるから》
朔弥は既読だけ付けた。杉の匂いと湿った土の冷気が濃くなり、拝殿の奥で鈴が一度鳴った。風はない。やがて電波が弱まり、数字が六、二、一と落ちた。
【23:56】
視聴者 0
それでもコメント欄に一行だけ流れた。
《みえてる》
アカウント名は空欄だった。朔弥は端末を再起動しようとしたが、画面の向こうで拝殿の戸が内側から鳴った。こん、こん、と軽い音が続く。コメントはもう一度出た。
《こっちからはみえてる》
喉が乾いた。沈黙に耐えられず、朔弥はカメラへ顔を寄せた。
「誰かいる?」
破ったのは、その一度だけだった。
視聴者数が一になった。管理画面には、その一人の接続地域が《配信端末の内側》と表示された。次に二になった。暗い画面の端に、朔弥と同じ上着を着た男が立っていた。男は拝殿の戸の内側から、こちらを撮っていた。
朔弥は配信を切り、夜明けまで走って下山した。アーカイブは残っていなかった。
翌朝、仕事用のオンライン会議へ入る。参加者一覧には、取引先二名と朔弥、その下に見覚えのない表示があった。
「視聴者 0」
削除しようとした瞬間、朔弥のマイクが勝手にオンになった。スピーカーから、昨夜の自分の声がした。
『誰かいる?』
会議チャットに、空欄のアカウントから返信が届いた。
《いるよ。今度はそっちがゼロになるまで》