言い訳買取店
商店街の魚屋と靴屋の間に、昨日までなかった細い扉があった。
硝子には「言い訳、高価買取」とだけ書かれている。
弟と三年口をきいていない兄は、冗談半分で入った。
母の介護を弟へ任せ、葬儀にも仕事で遅れた。謝ろうとするたび、
「遠くに住んでいた」
「会社を休めなかった」
「弟だって来なくていいと言った」
という言葉が先に出た。
店主は白い皿を差し出した。
「謝れる言葉を一つ、お売りします。代金は、あなたの言い訳全部です」
「事情まで話せなくなる?」
「事情は残ります。ただ、謝る前には使えません」
兄がうなずくと、口の奥から灰色の糸が何本も抜け、皿へ落ちた。
代わりに小さな紙包みを渡された。
中には一行。
「遅くなって、ごめん」
弟の家へ行くと、玄関で足が止まった。
弟はやせ、母の杖を傘立てに残していた。
「何」
「遅くなって、ごめん」
それだけしか言えなかった。
仕事の事情も、弟の言葉を真に受けたことも、母へ毎月送金したことも、喉の奥で灰色の糸に縛られている。
弟は長く黙り、
「何が」
と聞いた。
兄は答えられない。
何に対して、と言われれば全部だった。
母のこと。
弟を一人にしたこと。
自分だけが苦しかった顔をしたこと。
「全部」
ようやく出たのは、その一語だった。
弟は扉を閉めかけ、やめた。
「今さら許せると思う?」
兄は首を振った。
許してもらうための言葉まで、店に売ってきたらしい。
「じゃあ、何しに来た」
「謝りに」
弟は笑わなかった。
それでも玄関を少し広く開けた。
二人は母の遺品を一つずつ確認した。
話しているうち、灰色の糸が少しずつ喉からほどけた。
仕事のことも、怖くて病室へ入れなかったことも、弟が「来るな」と言った本当の意味も、謝罪の後なら話せた。
事情は言い訳ではなく、二人で確かめる事実になった。
帰り道、細い扉は消えていた。
魚屋の隣には、元から壁しかない。
弟からその夜、短いメッセージが来た。
「次は母の写真を分ける。来月」
許されたとは書かれていない。
兄も「ありがとう」とだけ返した。
三年間閉じていた扉は、謝罪一つで元通りにはならない。
けれど言い訳を先に通さなければ、人一人が入れる隙間くらいは開くのだった。