謝罪のあとに残った椅子

芹生佐和と甲斐路直人が壊れたのは、直人が怒鳴った夜だった。

「もう愛してるから一緒にいるんじゃない。別れるのが面倒なだけだ」

口にした瞬間、彼は青ざめた。

すぐに謝り、違う、腹が立っていただけだと言った。佐和も「分かってる」と答えた。

それから半年、二人は以前より丁寧に暮らした。

直人は帰宅の連絡を欠かさず、休日の予定を佐和へ先に訊いた。佐和は彼の好物を作り、疲れている日は一人にした。喧嘩をしそうになると、二人とも声を低くした。

壊れた皿を両手で運ぶような生活だった。

けれど直人が花を買うたび、佐和は罪悪感で選んだ花だと思った。

肩を抱かれるたび、面倒だから別れないと言った腕だと思った。

直人も、佐和が笑うたび、許していないのに笑わせている気がして、先に目をそらした。

日曜の昼、彼は食卓の椅子を一脚、修理していた。

以前の喧嘩で佐和が立ち上がった拍子に、脚がぐらつくようになった椅子だった。

「直った?」

「たぶん。座ってみて」

佐和は腰を下ろした。椅子は揺れなかった。

「元どおりだね」

「うん」

二人は、その言葉の嘘に同時に気づいた。

木の脚には新しいねじ穴があり、裏には補強板が渡してある。使える。以前より丈夫かもしれない。けれど、壊れる前と同じ椅子ではなかった。

「私たちも、直ったと思う?」

佐和が訊いた。

直人はねじ回しを置いた。

「直したいとは思ってる」

「私も。でも、直人が優しくするたび、あの言葉を消そうとしてるように見える」

「消せるなら消したい」

「消したら、聞かなかった私に戻れる?」

「戻れない」

彼はようやく、謝罪とは元へ戻る呪文ではないと認めた。

佐和も、許すことと忘れることは違うと認めた。

二人は別々に暮らすことを決めた。

憎み合う前に、修理することだけが関係のすべてになる前に。

荷造りの日、直人は補強した椅子を佐和へ渡そうとした。

彼女は首を振った。

「それは直人が使って」

「見るたび思い出す」

「私も同じだから」

結局、椅子は粗大ごみ置き場へ運んだ。

まだ十分に使えるのに、と管理人が惜しんだ。

「ええ。でも、座るたび姿勢が変になるんです」

佐和が答えた。

別れ際、直人はもう一度謝った。

佐和は「許してる」と言った。

その言葉は本当だった。

ただ、許された二人が、壊れる前の二人へ戻れるわけではなかった。

回収車が椅子を運び去る。

補強板だけが一瞬、朝日に光った。

二人の関係にも、確かに直そうとした跡は残った。

それを失敗とは呼ばず、それでも座り続けないことを選んだ別れだった。